2005/01/11

ちょっと思いついたこと。ネタに育つかな?

さっき、眠れぬ夜の暇つぶしに携帯電話でピンボールゲームやってたら、変なことが心をよぎった。





��0年ぐらい前から10年ぐらい前まで日本で架空戦記(google)というジャンルの小説がはやったよね。





ちょっと古い話なんで少し説明すると





レイテ湾での栗田艦隊謎の反転(google)が無かったらとか、


真珠湾奇襲で艦砲射撃やって備蓄燃料を破壊してたら(google)とか、


シブヤン海で被害担当艦が武蔵(google)ではなく長門だったらとか、


とか、とか、とかの、SFの王道 たられば で日本軍が勝ってしまう話。





ブームの最初の頃の荒巻義雄(Wikipedia)とか読んだ時は


「おおお、子供の頃から ”平和と唱えよ! 戦争は悪と唱えよ!戦争について考えるな想うな!(つまりは平和をどう実現するかも...)、そんな事を考える奴は平和の敵、平和国家の非国民だぁ!” の空気で暮らしてきたモヤモヤがすっきりするぅ」


と結構このジャンル読みました。まあおんなじ空気の圧迫をその頃の青年がみんな多かれ少なかれ感じてたんでブームになってたんでしょう。


しかしあまりに粗製乱増になって日本軍が強けりゃ売れるんだろ的な、何にも考えてないバカ小説が(なぜ戦争になったのか、なぜ負けたのか、戦争という悲惨な事をどうして止める事が出来ないのか、そんな事が何にも無い)どんどん紛れ込んでブームは終りました。


��そーいや、志茂田景樹の百式零戦(...orz...つまり百式零式艦上戦闘機ということらしく...このバカバカしいネーミング、ギャグじゃなく本気なんだもの。なんのこっちゃらウルトラスーパーデラックスマン)が出て来るひどいやつ読んで、こんなん書き散らして恥ずかしくねーのか!と一人切れてた憶えが...)


まあ、SF好きじゃない人がSF書くはめになってレーザー光線と宇宙船とロボットと宇宙人出しとけばSFだろ的な何のセンスオブワンダーも無い小説が、SFが流行るたびに出て来るのと同じ事が起こったんでしょう。で、まだ手探りでジャンルを始めてた時だったんで見事に終ってしまいました。





海外ではトム・クランシーとかフレデリック・フォーサイスとかステルス艦カニンガムシリーズとかこの辺の架空軍事小説は昔から色々面白いの続いてるのになぁ。(オナーハリントンとかシーフォートのシリーズはうむうSF版軍事小説かぁ。まホーンブロアー物って事で(^_^;))


なんか惜しいなぁ。「女王陛下のユリシーズ」読んで戦争いって来たくなる奴はいないぞ。あえてそれでも軍人になる奴しか。





何か説明が長くなったけれど(何が 少し だぁ...(^_^;))





でここ数年「バトルロワイヤル」(google)(映画も旨かったぁ)とか


「リアル鬼ごっこ」(google)とかありましたよね。


基本的には現代の生活している日本に独裁者とか王様がいる設定で少年少女(というかもう青年なんだけれどね)がえらい目にあう話。


まあ天皇制が今のようでなくて、北朝鮮とか見ててそれを設定のモデルにしてたんだろうけれど、こういう考え方も出来るかも。(やっと本題だぁ)





もしかすると架空戦記物で日本が勝って戦前の天皇制が残った戦後の話とも言えないか?


物語の設定なんて昔の物が引き継がれて成長していく事もあるんで、ありえるかもと思ったわけです。





で、まあ何かこう「戦前中の日本は今の北朝鮮と同じだったんだから」みたいななんだか変な言いようを何人かから聞いた憶えもある訳です。


その度に日本に大正デモクラシーって無かったかぁ?とか、ちゃんと機能している選挙ずーと続けてやって無かったかぁ?とか、天皇が普段から国政決めたり法律作ったりしてたかぁ?とか、再教育キャンプあったかぁ?とか、第二次大戦で輸送システムがズタズタにされてしまう前に国民を何年も大量に餓死させた事があったのか?とか、街のその辺に死体が転がってる様な事態が戦争末期と戦後以外あったっけとか、とか眉に唾つけて聞いてます。


大体「戦争前のナチスドイツは今の北朝鮮と同じだったんだから」って言う奴がいない。むうう、確かにこっちの方が違和感感じやすいよなぁ。ユダヤ人やジプシーや精神障害者や先天的な障害者に対する仕打はあったのにねぇ。なんかナチスドイツよりもおじいちゃんひいじいちゃんの日本がイメージしにくくなってる変な感じがある。





それで、「バトルロワイアル」とか「リアル鬼ごっこ」書いた作者たちは書いた時青年まっ盛りだった訳です。もしかすると無意識に戦前の天皇は北朝鮮の金正日とかオーム真理教の麻原とかでイメージしたんじゃなかろうか?





「バトルロワイアル」の映画は、原作の独裁者や坂元きんぱち先生が無気力で価値観の狂った日本の大人全般の事でもある部分を膨らまして、うまく説得力を持たせてあの親たちや北野先生を作って独裁者の影を薄くした訳です。まあ監督もおじいちゃん世代だからでしょう。(でもあの監督でさえ原作者の作る毒について行けなかった部分でもあって、その辺原作の方が好きなんだけれど)





、とすると、日本が第二次大戦で大負けせず曲がりなりにも価値観とか常識とかが戦前から連続したもう一つの日本を描く事にはまだ空きがあるのかも。


年齢に関係なく普遍的無意識に説得力のあるデストピアなりユートピアが出来そう。





むううう、とここまで考えたとこで、それじゃフィリップ・K・ディックの「高い城の男」(google)の設定の日本の話でしかないじゃないかと気づいた。


むうう、とりあえず、どっとはらい。が、まあなんか思い付く事もあるかも。ちょっと憶えとこう。











--- ぐうう、Amazon.co.jpへのリンクが蹴られる。楽天広場ぁ!むうううう、ちょいと思う所出来てしまいました。






2005/01/01

あけましておめでとうございます

まあこんなぼちぼちな日記ですが、どうぞ今年もよろしくおねがいします。





  2005年元旦