2010/10/26

ディズニープリンセスについての馬鹿話




今日、友人とこんな話になった。





「シンデレラ」って、


シンデレラの性格が良かったからあの話になるんだけれど、


もしもシンデレラが王子様を継母とグルだって疑ったりしてたらあの王国全部を敵に回して一生過ごすのかも。





そもそもあの王子も顔じゃなくて足のサイズで恋人を探すんだもの、どんだけフェチなんだと。


シンデレラのどこに惚れとんねんと言いたくなります。





舞踏会でみそめて、一夜踊って、頭から離れなくなった女を捜すのに、


先ず彼女のガラスの靴を履けるかどうかって…うーん。


まあそのだいぶ変な情熱の持ち主の王子様を許すだけの器はあるんだよなぁと。


シンデレラが「何で顔で探そうと思わない!せめて髪の長さとか色とか、身長とか…、えーい大まけにまけてスリーサイズでもまだましだ。私のアイデンティファイが足のサイズって馬鹿にしとんのか変態やろー!」って怒っても良いような気もします。





いやぁ、もう王子様に不信感を抱いても不思議は無いシチュエーション。継母の新手のイジメか、そうで無くても変態に付け狙われる不幸な星の元に生まれたのか、とそんなふうに自己憐憫ひたっても不思議はないなぁと。





きっと辛い状況でもシンデレラの洞察力は歪んでなかったというお話なんでしょう。


ちょっと厳しい見方をするとあの継母や義姉達はあくまでシンデレラから見た人格です。ある部分はシンデレラが作り上げたキャラクター。虐められている自分という認識も彼女の主観です。


王子様をそういう風に敵として認識するのは不思議な事じゃない。


そういう生き方の人も多くいます。





でもシンデレラは王子を見抜く力をもってた。歪んだ見方ではなく。





で、その辺がさらに成熟したヒロインは「美女と野獣」のベルじゃないかなぁと。


あれ、実はシンデレラ型のヒロインがお城へ行った後の話だよなぁと。





もちろんあの奇妙な情熱の王子様はお城で一緒に住むと野獣なんでしょう。


ベルはレディとして扱われることを要求し、レディとして振舞う。


野獣の奥にある優しさや良いものに気づいて、とうとう野獣の呪いを解く。


その辺のベルの見る目の鋭さの伏線で村の人気者ガストンを出してたんでしょう。


ガストンの中身が実はカラッポである事を村の中でベルだけは見抜いていてプロポーズを撥ね付けている。村のみんなからはなぜあんな高スペックの男に興味ないんだ、変わり者の娘だなぁと思われてぃる。


そういう鋭い見方の出来るベルなんで野獣の呪いを解くことが出来る。みんなには忌み嫌われる野獣を愛する事が出来るから。


もしもベルがあの鋭く良いものを見つける感性を持たなかったとしたら、当然村人と同じように野獣を狩り立て火の着いた松明を投げつけてたのでしょう。


��うう、個人的に心が痛いです。そうやって狩り立てられ投げつけられる状況に陥ってばかりだとも思うので…うーん投影しすぎかなぁ…)


でもベルはその地獄を変えてゆく。美しいもの良いものを見出す力によって。





ベルは理想の妻。あれは新婚家庭の話かも。


未熟な王に支配された暗いお城、国を、明るい場所に作り変える。


家庭を作り上げる物語。





男としては野獣からベルがどんな影響を受けたのかをもっとやってくれても良いような気もするけれど、まあそれはあくまでも主人公はプリンセスの話ですものね。





「シンデレラ」と「美女と野獣」をそういう結婚するまでと結婚したあとの話として見る事も可能だよなぁと。





前期のプリンセス達は恋をするまでの話のような。


スリーピングビューティーなんて処女と童貞の成長物語に見えてしかたないのです。それをネタに一本SF映画を作った事もありました。


後期のプリンセス達は恋をした後の話が多いと思います。


リトルマーメイドは何とかして友達になったけれど告白出来ないうちにライバルが現れてって三角関係。美女と野獣は新婚家庭のドタバタ。アラジンは恋人をどうやって親に認めさせるかって話などと取ることも出来ます。





新しい方が成熟した話になってるのは時代によって私達の意識が変わってきたからなのかも。





昔のシリーズも含めて、その底では、どうやったら良い恋愛や良い生き方が出来るのかということをずっと考え続けているような気がします。





セックスアンドザシティーなんてのはその延長線にあるのかも。





そんな馬鹿話をしてました(^▽^)/


そういえばコクトー版の「美女と野獣」観てないなぁ。ラストカットの雲の中に消えていくのだけはなんとなく覚えてるけれど。観たいリストに入りっぱなし…。










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