あなたを探しはじめて、
どれくらい迷ったのだろう
光の表面も影の底も
あと何光年
いや、
本当は知ってる
もうとっくに君はいない。
ちょっとぼろぼろです。
この間書いた「惑星ソラリス」のような状態。
どんどんそっちの方向に行ってます。
ある意味、精神的な自殺とも思える行動を見ているしか出来なく。
復活したハリーを殺し、そして自殺され、生き返った愛しい人と罪悪感と共に居るしかないケルビンさんを思い出します。
なんで君にとってこの世界はそう耐えがたいのか。
愛情でさえ、いえ愛情だからこそ、君は傷ついてしまう。
なんでこんなにねじれてしまう前に君と出会えなかったのか、悲しく思ったり。
もう、たらればが出るくらいどうしようも無いです。
今の私には希望は作れません。
ただ今は耐えてせめて全てをしっかり見て何が出来るのかを問いつづけるしかなく。
そういえば「惑星ソラリス」を検索してみました。主人公の名前はケルビンさんで間違えてないかなぁと。
感想や解説を読んでると、あのラストは絶望だと解釈する人が多いので、ちょっと驚きました。
ずうっと絶望の果てにぎりぎりの所でやっとかすかな救いを見出したのだと思ってます。もちろん両親にも地球にさえ拒絶されてしまっている、もしくはケルビンさん自身がそれに値しないと思ってるのは解ります。異質なソラリスの海が対峙しているだけ。でも最後にケルビンさんはすがりつく事が出来た。許しを乞う事が出来た。たとえその相手が異質としか理解出来ないソラリスの海だとしても、そのケルビンさん自身でさえソラリスの海の怪物かもしれないとしても。人間として最後のぎりぎりの救い。
あと最後にハリーへの愛を裏切って全てを誤魔化したのではないか。そもそも愛情自体がまやかしだったのではないかという山形浩生さんの鋭い評が興味深かったです。そういう事はとても人間の恋愛らしいとも思う。ハリーへの愛情が世界全てへの相対し方の問題になっていった。もはやハリー自体は問題の一部でしか無くなってしまった状態。恋愛として不純だってのはそのとおり。でも世にはままある事。出家する救世主やお坊さんの話ではけっこう恋愛話がきっかけってのも多い。
さて結局何か救いを見付ける事が出来るのか。君のためにこれから何が出来るのか。
これは私の人生の物語。
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