2018/06/26

今週の授業

4月から専門学校で講師やってます。

明日は、映画の構成分析を「雨に歌えば」か「ストリート・オブ・ファイヤー」かを教材に。
就活で2年生に構成分析のやり方をあまり出来てないのが気にかかる。
卒業制作映画の第一稿は出来たけれど、自分でどこがどう上手く行ってないのか分析が上手く出来ないらしい。設定いじりにはしりそう。そこは経験ない時はみんな陥るデッドエンド。
面白い映画がなぜ面白いのか、構成方法に自分なりの仮説を立てられるようになってたら、直し方も前向きに出来る。

一年生は実習の企画見てると、ほっといてもちゃんと構成が出来ている。こっちは何本か構造を分解してきてるからなぁ。
明日は二年生分析な授業受けられると良いなぁ。

明々後日の絵コンテは、映画ネタにして映像の演出論を。最初のネタ映画を「ジョーズ」にするか「ローマの休日」にするか「カリオストロの城」にするか、さらにどのシーンにするか悩み中。
明日にはネタ元決めて画面構成の資料を作らないと。
映像コースの生徒さん達には私がこの数ヶ月口酸っぱく言ってきた映像作品全体の構成方法と実は全く同じだって事に気づいてくれたらいいなあとは思っての授業内容だけれど、さて上手くいくだろうか。

2018/06/24

久々にお散歩写真撮ってきました(^^)


 そういえばこのブログはある時期から挿絵写真を撮るのを自分に科してたなぁ。

昔を思い出して。今日撮ったものを数枚挙げときます。

だんだんFacebookやTwitterに個人的な呟きを乗せるのが気が引けてきました。

読む人にとっちゃどうでもよいことをたまには熱く語ってたりしたいわけで。

懐かしき我が家の方がよいのかなぁ。

ところで、「インスタ映え」って言葉が嫌いです。そんなこと考え始めたらどんな写真撮ってもむなしいだろうにと。

今日の写真載せときます(^O^)/


大冒険な日々

朝起きたら落ち込んでた。

自分自身への攻撃性で心が痛い。
いろいろと迷惑かけている確信が手でさわれるよう。
でもその思いは実は自分への攻撃で、それこそが破滅へ続く自己中心な甘えなのは、もうとうに気づいてたはずなのに。

一喜一憂の日々。
ここ数年ずっと嬉しいことが連続してて。
それが私の弱さに跳ね返って、不安を生み出して、私が望む事から私を遠ざけようと働いて。

幸福でいられる強さと愛を。
今日は静かに己が心と付き合います。

さて、この記事で私は何回私や自分や己と書いたのだろう(((^^;)

2018/06/20

チコ

事の本当の始まりは私の無意識の霧の向こう。意識して語れる始まりは、この前の日曜の午前四時。

夢の中で誰かに「チコに似てるよ」と語りかけられた。私の夢にいつも出てくる  ”中心の街” の中で。静かで軽い口調なのに不思議と迫力がある響き。

それでぱちりと目が覚めた。

チコの姿を確かめたくなって仕方ない。感情が渦巻いていた。
家にある本のではなく、 「小宇宙―鏡の淵のアリス」 という絵本でのチコの姿。美しい寄り目のアーミッシュのおさなごのチコ。

だいぶ前に調べたら、古本屋さんのサイトでページがあっても売り切れ。価格は10万円前後で取引されていたような稀覯本。買うのは諦めた本。

夜明け前にPCを使い画像検索。
あのチコのいくつかの切れ端を見つける。

ああそういうことか…そういうことか。と意識や理性ではさっぱりわからないまま、まだ半分眠りの世界にある心が感情で納得していく。

不思議な時間を過ごして、ふと画像のサイトをのぞいてみた。古本屋さんの通販サイト。売り切れでは無い!価格は6000円…桁間違えて…ない。
注文を押した。

数年に一度図書館の書庫から出してもらって楽しんできた本。まあ一生そうやってくのかなと思っていた本。
他も見てみたら何が起こっているのか結構流通している。

昨日家に着いたのだけれど、どうにも古本屋さんのラップを開けるのがためらわれる。ページをめくるには静かに私もペストコンデションで開けたい。儀式を必要とするほど感情が騒めいている。
とはいえ家に置いて出かけるのも嫌だ。離したくない。とうとう重い荷物の端に忍ばせて職場まで持ってきてしまった。写真は教室のテーブルの上で撮影。
たぶん数日は持ち歩くような気がする。

夢の中で私に語り掛けてきたのは、当たり前だけれど私だったのか。

2018/06/10

運命の映画との出会い 「赤いりんご」

運命の映画との出会い って文章を200文字ぐらいで書かなきゃいけなくなったので、
「赤いりんご」 https://goo.gl/8CMeK9 の事を書いた。
もしかするとまた記憶装置の肥やしになるかも、
それはちともったいないので、ここに書いとこう(^O^)/
考えたらあの画家さんの失恋の年齢と同じ頃にこの映画を観て、
今はあの画家さんと同じくらいの年格好を少し越えたぐらいかな。
何年も映画にとりつかれるのも悪くない。
最近気になっているのは
あの娘が本当は誰の子供だったのか。
上手く隠れているけれど気にしだしたら気になる(^^)
=============================== 「赤いりんご」(76キルギス、監督トロシム・オケエフ)を観たのは小さな映画祭。知らなかった映画。
観客が失笑した青い片思い。そこから始まる画家と妻と娘の儚い絆とその崩壊、自然、土地、歴史。
そんな巨大な世界の上でそれぞれの孤独が悲しくも美しく、愛おしく。
人生とはそんな孤独で愛おしいものだと同じく若かった私に語り掛けてくれ、
そして映画で何が出来るのかの可能性をまた一つ教えてくれた映画でした。