この間からニュースで延々取り上げられている小6の殺人事件。
あんまり書くのは良くないだろうと思うけれど、私も良い人間な部分だけでもないんで書く。
事件自体はまあある事だろうと思う。自分の小6の頃思い出しても喧嘩で手加減なんてまだ憶えてなかった。自分の破壊力を自覚した時に殺しちゃいかんだろうと手加減を憶えていくんだろうけれど、小6では喧嘩になっちまったら頭に血が昇った状態でそれを自覚できるとこまで成長してなかったって不思議じゃない。
しかしTV観ているとものすごく不思議な事が起こった様に報道してはる。
本当に今まで日本で子供が喧嘩の上で人を殺した事、そんな事が起こった事は無かったのか?
どうにも嘘臭い。
最初の日のニュースはそれでも加害者、被害者の心のありように安易にレッテル張るのは注意深く避けてたのが、段々日が経ってゆくにしたがって何とかレッテル張ってみて面白い物語を作ろうとしてる気が。
おい両方共子供だぞ、そんな非道な事していいのか?とニュース観るたびに不快感があります。
まだ自分にも同じ状況になったら人を殺すかもしれんとの想像力があって、もちろん殺された側についても、同じ立場"でも"見てみようとする事が出来る人の意見には怒りは感じない。こういう立場に立つ人は専門家に多いみたい。
怒りを感じるのは「私は殺意を抱いても殺した事はないしこれからも人を殺す事はありえない!」と何の根拠も無く思っている立場の言葉。そういう表現が私の心には痛い。
曰く「最近の子供はバーチャルとリアルの違いが区別出来なくなって来てる...」「最近の子供はキレやすい...」
最近の風潮とか最近の社会とか自分では無いと暗に言ってるのがポイント。
もちろん或る種の娯楽としてそういうのがあってもいいけど、テレビみたいなマスメディアの強力洗脳装置でやられると、止めてくれと思ったりする訳です。
そうして二人の人間やその関係する人々を人間ではなく登場人物としてゆく。物語の登場人物は人間では無い。
成人で加害者ならまあしかたあるまいとも思うが、今回は被害者も子供、加害者も子供だぞ。
なんかTVが最も危ういバーチャルリアリティになっているのかもと思う、1984年から20年たった今日この頃。
2 件のコメント:
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ほんと、オーウェルね~「1984年になったら読もう!」と張り切って書棚に並べていたのですが・・・(笑)当時の私にはちとむずかしかったみたいですわ。ディックの小説なんかもまったく突拍子ないってかんじでもなくなってきましたよね~
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しまねこ♪さん、コメントありがとう。
そういえば1984年(!)に映画化してましたよね「1984」ってタイトルで。
たしか1984年の1月1日に全世界を衛星中継で結ぶイベント「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」なんてのもあったような...。
きっとオーウェルの1984年のデストピアがやっぱり他人事ではなくなり始めてた頃だったのかも。(^^;)
「ブレードランナー」が1982年...。
もしかすると今は真最中に生きているんであんまり気がつかないだけで、未来の人から見ると大激変期なのかも。とちょっと妄想してしまいました。(^^;)
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