2004/06/03

夢見る機械

このあいだ日記をサーフィンして、


楽天以外のサイトで映画ファンの人の日記を読んでました。


結構鋭く観てはるなぁと読んでいたら、こんな感じの言葉が目に飛びこんで来た。


曰く「映画は純粋にストーリーを楽しむ」


...言っている事は判るし、もうそういう事なんだろうとも思うけれど、


でも、やっぱり草葉の陰でエイゼンシュタインさん(google)の高笑いとジガ・ヴェルトフさん(google)の悔し泣きが聞こえてきそうな気が...。(^^;)


(一応二人並べて検索(google)


昔の映画論の本で「映画は演劇に占領されてしまった。新世界は演劇の植民地に成り下がった」というような内容を読んだ覚えがある。


まあ、映画という機械というかシステムの核は"動く画"な訳で、後から音が付き。...んで大体今のような感じになった訳です。


映画が発明された頃当然これを何に使うのか?という悩みはあったんで、まあとりあえず観て面白そうなものを映画にしようと色々やってたわけで、


そのうちサーカスを撮ってた奴が途中でカメラを止めても流れが出来る事を見付けて編集が始まったり、舞台を撮ってた奴が良いとことで役者のアップを撮る事を始めたり、


どんどん舞台風の物語を映画に取り込む。悪く言えば寄りかかる事になっていった。


当然それに対しては"動く画"としては不純だぁー!もっと純粋に"動く画"の見せ方を作らねばいかんのじゃなかろうか?という動きも起こり、細々と今も続いているのです。


そう言えば今年のカンヌで日本の実験映画が賞とってたなぁ。監督曰く「私の作品に物語はない」風景のみで構成された映画らしい。


今の映画もその二つの方向の緊張感で先に進んでいって新しい表現が出て来るのもよくある事です。


マトリックスのタイムスライスって80年代に日本の実験映画で観た記憶が...。とても面白い映像、あれを物語に取り込んだんだねぇ。


さて何が純粋な映画なのか、私は未だに判らないままです。(^^;)


どうすれば映画を楽しむ事になるんだろう、これはずっと探し続けています。きっと死ぬまでね。





そうしてあの言葉によって「太陽が凍るまでに」を作る意味がほんの少しだけどまた一つ出来た様な気がしてます。


映画作りで、この一人の荒野にいると、こんな事まで悩んだり、こんなちょっとした事で助けられたりしてます。(^^)





あ、ジガ・ヴェルトフの「カメラを持った男」のDVDが出てるぅ!?欲しいぃぃ!


むう今月は色々物入だから、来月にしとこ。(^^;)






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