2010/09/23
撮影セット
撮影に監督かカメラで参加している時にはいつも首からぶら下げてたセコニックの露出計と被写界震度表のセット。
ビデオになってからはほとんど使って無かったけれど、今回は復活です。
今回は超音波メジャーも付けてます。が、これが使いにくい。
レーザー式距離計で安全な低出力で安いのは無いかなぁ。
カメラの撮像面から瞳もしくは睫毛の付け根までの距離を計るのにレーザーは怖い。
昔ながらの巻尺ももう数回出動してます。
数日撮影してみて、Canon7Dはきちんと被写界震度のチェックが必要なのは身に染みました。
「風姿花伝」だったか、
世阿弥が跡継ぎに誰を選ぶかという話になったとき、
「あいつは舞うとき足が能く動かせるから駄目だ」って言う話があって、
はっとした覚えがあります。
ああ、なるほど有名な「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」はそういうことなんだと。
動きや表に出すのを抑えるところに花がある。そういう意味なのか。
と、これを書くのにぐぐったら、
同じ世阿弥の「花鏡」に
”身7分動”
なんて言葉があるそうで、
意味は
「心を十分に動かして、身を七分に動かせ」
このほうが分かりやすいなぁ。
見せない事こそポイントなのは映画も同じ。
ほかの事も…、例えばラブレターだって「好き」や「愛」って言葉を使わないで書いたほうが伝わったり。
実はその延長に映画のカットの組み合わせや衝突なんてことがあるような気がしてます。
有名な映画のクレショフの実験。
あれが示しているのは
映画での感情はそれを見る観客の意味の解釈と想像の中で生まれる幻だという事。
単純に表現が伝わるわけじゃない。
そしてその先に、
偏やつくりの組み合わせの漢字や単語の組み合わせ/衝突の俳句、短歌に映画の文法のヒントをみつけようともしてました。
日本のアニメの方向がなぜこうなったのかも、実は関係しているような気もします。
浮世絵と日本のセル画が同じ方向だってのはまあそんな気がしますし。
同じ文化の延長としてかなりありそうな。
そういや今のジャパニメーショーンブームも19世紀のジャポニズムの再来なのかも。
何が魅力かは今感じられるけれど、全体像は何十年も経って振り返らないと見えてこないかな。
そんな方向で、なにか映画のもうひとつの物指しが見えてこないかな。
以上脱線に脱線を繰り返しました今日のたわごとでした。(^▽^)/
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