出逢ってしまうことがある。
幻のたぐいだとは思う。
まぼろしの存在感。
それは真剣に相対する方がいい。
文明は人の正常な幻に合わせて作られている。
気が違うとはその幻の内容が違ったり、その幻を持っていなかったりすることでもある。
例えば私たちは儀式を欲している。
例えば宇宙人になったつもりで周りを見回せば、合理的には説明できない行動ばかり。
私たちはそうやって生きている生き物。
だから、逢った時にはちゃんと向かい合おうと思う。
撮らない方がいいと思う場所もある。
まぼろしにはまぼろしとしての意味がある。
夢と同じこと。
楽しい夢や悪夢と同じように接する。
私の内から出てきたものか、少なくともそれを感じている私が居る。
きちんと見る。耳を傾ける。
ただし、わたしたちの方が強い。
むこうに出来ることはメッセージを伝えることだけ。
直接手出しなんか出来やしない。
だから、巻き込まれるな!
誰も他人の不幸を直接望みはしない。
そう思えるときはよく見てごらん、泣いているだけだから。
すべての意志は君が生きてここにあることを望んでいるよ。
2 件のコメント:
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合理的でないのが人間なんですよね。
なんでかわかんないですが、一番上の写真の構図、好きです。
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いちごさんへ
いちごさんには何かが伝わったみたいです(^▽^)
写真のことはありがたいです。
誰にもそう感じてはもらえないかもと思いつつ載せました。
こういうものをしっかり捕まえられるように、写真ももっと上手くなりたいです。
��合理的でないのが人間なんですよね。
��
��なんでかわかんないですが、一番上の写真の構図、好きです。
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