
今年はのんびりした幕開けだなぁと思ってました。
こんなに予定が空いているなら溜まっている編集終わらした後に散歩動画いっぱい作れるかなぁと。
が、この一週間でどかどかと色んなお話を頂いて、けっこう忙しい一年になりそうな感じです。
今日の飲み会でも年末にかけてのお話が進行してもしかすると何らかの形で関わらせていただくことになるのかも。
一番迫っていのは自主制作映画への出演。
数年ぶりにカメラの裏側から表側にまわることになりました。、
数年前のは連続快楽殺人鬼の役。女を殺してまわる。
シリアルキラーというよりサイコキラーまでエスカレートしてゆく役でした。
私にはそんなイメージというかそんな匂いがあるのだろうかと、
少し反省して数年。
あの反省は生かされたのかな。
カメラや客席の表も裏もいろいろお話いただいて本当に有り難いです。
感謝(^▽^)/

明るい一年になりますように
よいお年をお迎えください
��^▽^)/

大掃除とささやかに忘年会でした。
家もそろそろしなきゃ。
オープニングとジングル映像担当させていただいたライブイベント
「新月の叫びとささやき」
心斎橋Club Jungle1 で2月13日にありました。濃くて楽しいイベントでした。
で許可いただいたので作ったオープニングフィルムを挿絵に使わせていただいてます。
��出来たらYOUTUBEで→歯車アイコンの画質変更→1080Pとか720PとかのHD画質を指定してご鑑賞いただけると嬉しいです)
せっかくなんでこのオープニングフィルムのプロダクションノートのようなものを書いてみます。
主催のuncloseのshimaさんからお話をいただきました。
その後shimaさんから街が夕暮れから夜に変わっていく画コンテと月の写真と音楽が到着。
カット割が合理的でやっぱり映画好きなんだなぁとも作曲家だなぁとも思いつつ、
私も構造大好きなんでどうやって映像を組み立てようかワクワク。
そしてふと謎に気づきました。
イベントのタイトルは「新月の叫びとささやき」
そしてチラシにも使われている頂いた月の写真は満月。
ん?
いやこれは謎だ。面白い。
なんだか禅問答とか無門関とかソモサンセッパとか一休さんとかの世界だなぁ。なんと雅な月についての謎。
ためしに公案風に書いてみると。
かの人は「新月の叫びとささやき」と言った。
しかしその人が指し示した月は巨大な満月だった。
これはどういうことか?
はいもうこの謎をshimaさんに問うて答えをもらうのはのはもったいない。簡単に決着をつけてしまってはせっかくのこの魅力が消えてしまう。
自分なりのある種の決着をつけて輝かせなけりゃね。
考えて考えて最後には考える先の世界。手触りや実感の世界にまで行けるかな(^^)/
私なりの答えを求めて、
NASAから新月から満月の月齢別の高解像度写真をダウンロードしてみたり、
カメラ担いで夕暮れから夜の街を彷徨ったり。
だんだん月というものを感じるようになってきました。
私は月を見るけれど、それは実は逆に私が月に見ていて欲しいのかも。
それは今この時だけではなく、私の始まりから終りまで、私の時間を丸ごと見ていて欲しいのかも。
この世界、私が生まれる前から有って死んだ後にも有るであろうこの環境、自然そのものが私達を見つめている目が月なのかも。
循環しつつ変化していく時間の中、
永遠に近いものが私の瞬間瞬間を見つめている目。
私の視線を反射する月。
舌足らずながら無理やり言葉にするとそんな感じとも言えます。
そんな実感のある映像が綴れていればいいな。
リンク先は動画(テスト中) |
昼から港館のミーティング。色々たくらむ。
神戸活動写真倶楽部 港館
夜は自主制作映画「もういいよ」「再生カメラ」吉田勝二監督を観る。
気が違って行く事をとても分かりやすく見せてくれる。
人間はみんな少しづつ気が違っている。
作り手自身にもその自覚があるんでとってもしっかりした希望に溢れている映画でした。
吉田 勝二

参加された皆様、ありがとうございます!お疲れ様!
つながることを願って!
(写真はコントユニット「かのうとおっさん」のお二人と後ろにちらっと役者中野聡さん。
今回ほとんど写真が撮れなかったので、公式写真がアップされたらまたご紹介します)
追記

��^▽^)/
東日本大震災復興支援チャリティイベント act for friends vol.4

明日のチャリティイベントの準備。
イベント的に言うと仕込みって事になるのかな。
作らせていただいたイベント用映像、雰囲気だせたかな。
明日、午後と夕方、
act for friends vol.4
楽しんでいただければいいな。
(^-^)/

いやぁすっかりご無沙汰しています。
この日記を書かずにもうひと月近くになります。
時々こういう世界に入ります。
いろんなものを楽しく感じられなくなるというかなんというか…。
ままたぶんまた復活するとおもいます。
とは言え、
書きたいことも書かなくちゃいけないこともだんだん溜まってきてまして、
ふぅ。
思い通りにならないのは世の常。
いえ実は思い通りになっているのですが、そのことに気づける事はまれで。
人はダブルシンク、二重思考、いえいえ、たぶん二重なんてものじゃなくてとてもたくさんの多重化した思考を抱えているのでしょう。色んなレベルでね。
見えてない自分もまた自分。分からない自分が有ることを忘れてると面倒な事が起こる気がします。そのへんいろいろ実感中です。
ほらここに書くようなことを書いてないもんだから、
こういうネタが飛び出して来ます。
うーんまだ日常ではそんなに爆発してないといいなぁ。
(^_^;)

むかしむかしお釈迦様のした説法の一つにこんなのがあったというお話があります。
丘に集まってきた聴衆に一輪の花を差し出した。そしてそれだけでその場から去った。
人々に差し出された一輪の花。
言葉を聞こうと集まった人々。
その期待から外れた一輪の花。
有も無も実も空も虚も非も含んで一輪の花。
数千年前のその花のことを思うと、
じつは始めっから何もかも受け入れていたんじゃないかとそんな気になったりもします。
あるがままに。
(memento flos)

昔「ガンヘッド」って映画があった。
はっきり失敗作。
映画会社のロードショー娯楽作だったはずなのに劇場でストーリーが分からない!物語が追えない。何がどうなっているのか分からない。
確か興行もその年の最低だったはず。
だけれど、あれを見た人の間では未だに心地良いい響きとして残ってます。
失敗作だけれどでもとても良い映画なのでした。
志はとても高く誠実に娯楽作を作ろうとしている。それはとても伝わってきて。
けして観客に媚びずへつらわず、だけれど観客に楽しい夢をみせることを頑固に目指してた。
だから未だに忘れられずに失敗作のまま愛している人も多い映画。
他には例えば有名なのでは「ハウス」や「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」や「夢」なんかも美しい失敗作かも。いえもう私達が追いついた今では古典的傑作でもあるのかもしれません。
個人的にすごいなぁと思っているというか周りで同意してくれる人が少ないのは「ねらわれた学園」(81年の角川映画のやつ)とか「テラ戦士ΨBOY」(なんてタイトル…orz)とか…あとは滝田洋二郎監督のピンク映画時代の作品達とか。
愛しい映画としか言いようの無い作品。
映画にもやはり何かしら良し悪しはあるのでしょう。たとえそれぞれ別の価値観であるとしても。
私の中では失敗してるか成功しているかとは別に志すところの高さも有ります。
何かが破綻をしていても物語が壊れていても伝わるもの。
もちろん完成された端正な美しい映画もあります。でもこれらはそういう愛おしい失敗作と裏腹なのかもしれません。
志が低ければ端正な成功作にも愛おしい失敗作のどちらにも成れないようか気がしてます。
そしてそういう愛おしい失敗作が積上がって端正な名作を生む土壌になるような気がするのです。
大林宣彦も滝田洋二郎も黒澤明も名監督には違いなく。それぞれのスタッフも映画もきちんと財産になってゆく。
ままこんなことを考えるのはこのあいだ素晴らしいコンペ(The 48 Hour Film Project: 大阪)に参加したから。
そこでほんとうに志の高い凄い失敗作を観たから。
そしてきっちり名作も何本か観れたから。
精進せねば。もっともっと志を高く。
GUNHED507「死ぬ時はスタンディングモードで」
インカ帝国の格言「ひざまずいて生きるより、立ったまま死ぬ方がいい」
GUNHED507「ガンヘッド大隊、任務完了」