アルバム 20090603 |
今日、あることを思いついてフェリーニの「8 1/2」(Wikipedia)と「2001年宇宙の旅」(Wikipedia)と「惑星ソラリス」(Wikipedia)の年を調べてみる。
それぞれ1963年、1968年、1972年の公開だった。
「8 1/2」は不思議な映画。
あのラストシーンが映画撮影用のロケット発射台のセットという設定だった事を思い出した。
で、もしや「2001年宇宙の旅」や「惑星ソラリス」の後なら、そういう映画を作ろうとしていた監督の話なのかもと。
この順番だと違うな…。
あの主人公が作ろうとしていた映画。どういう感じの映画を思い描いて発射台のセットにしたんだろう…。
なぜわざわざあんな設定を。
なんであそこでいきなり宇宙船。
失敗作が多いSF映画だから、しょうもなさそうな金がかかった大作映画に見えるようにそうしたのか…。
それだけなのか?
もしも飛び立つイメージだとしても、内容に安易に合いすぎる気がする。
歴史大作とか大戦争映画とか大河恋愛映画とかじゃダメだったのかな。ふつう最初にSFは発想しないだろうに。
まったく飛翔と思われない設定にいきなり飛翔のイメージをぶつけた方が、映画のみせかたとして楽なような気もする。
やっぱり謎だ。
なぜあんなみせかたをしたのか。
「8 1/2」はあんまり好きな映画じゃないけれど、気になる映画です。
調べてて「2001年宇宙の旅」の真相というページをみつけました。
「2001年宇宙の旅」を推理物、犯罪物として解釈してみてる。
面白い。
そう言われると「2001年宇宙の旅」がなんだか「ドグラ・マグラ」(Wikipedia)みたいな話に見えてきた。
いや、凄いなぁ。映画も観た人も。
今日はちょっとしんどい会話をしました。
なぜわざわざ不幸になろうとするんだろうか。
なぜ大事じゃないことに拘って本当に大事にしているものを捨てちゃうんだろう。
納得できない事は納得出来なくていいのに。
自分が何を大切にするかは自分で決めていいのに。
大人なんだから。
証明もテストもいらない、ただそうすればいいだけなのに。
一人で決めるのは淋しいけれど、
やってれば、
それを信じてくれる人も出てくるのに。
「俺は間違っていないと逃げる」って誰の歌だったか。
「大事なのは証明書を持ったカメラマンを用意することじゃない、映像が鮮明であることだ」ってのは誰の言だったか。
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