2010/02/20

タルコフスキー映画祭2010




イメージフォーラムでタルコフスキー映画祭2010をやってるらしい。


いいなぁ。スクリーンで観たい。


大阪にも廻ってこないかなぁ。





ネットで「ノスタルジア」が一番好きという意見を読むことが多いような。


一番完成されたかたちなのはわかる気がします。


私は「ストーカー」のあの地に足のついた感じが好きです。





後年の「ノスタルジア」「サクリファイス」の二本はやっぱり神様の話だよなと思う。


それゆえ美しい。神々しいとか聖なるものとかって表現が伝わるのかも。


大きなものに祝福された世界。「聖なるものあっての私」





でも「ストーカー」は私は私である感じを強く受ける。


神に捨てられて、ではどう生きるのか。


映像もルシファーとか悪魔とかの印象が残る。


たぶんきっちり計算して作り出されたそういう印象。


あの娘も、もしかするともはや人間ですらないのかもしれないけれど、でも、それでもあの美しさ。


それはたぶん「私は私である」ということ。


そしてそこにかぶるセクシャルな欲望の詩。


あの「望みのかなう部屋」で芽吹いていたもの。


神様いなくても捨てたものじゃありません。





きっとタルコフスキーさんは自分は何だろうってずっと考えてたのかな。


西洋と東洋に挟まれた国に生まれて。


がっつりキリスト教徒で、でもGODの居ない東洋の哲学に惹かれて。


芸術こそ全てと憧れて父の詩を引用し。


映画の為にこだわってた故郷を離れ、でもだからこそ故郷がテーマの映画を作り続けて。





86年に亡くなった。


その時、自作の徹夜仕上げ作業中に仲間から聞いて、並んでた深夜のホカ弁屋の前で思わず大声あげて悲しんでしまいました。


その夜はちょっと作業する手が動かなかったです。


そうかガンを知ってたから故郷を捨てたのか。亡命したのか。一本でも多く自分の映画を作る為に。





あんな弩天才でも簡単には映画作る状況にはなれなかった。


交流のあった黒澤明だって映画が作れない時期がほとんどだった。


たかが映画、されど映画。









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