2010/02/03
PC原始人
編集に関わっているPTAの広報誌、いきなり締切りが迫ってきました。来週に入稿。
みんなノートパソコンを持ち込んで作業しているのだけれど、
他の方のパソコンの使い方を見ていると面白い。
いつも、
ワープロのファイル履歴から原稿のファイルを開く人がいて、話しているとどうもその原稿がどのフォルダにあるのかは意識していないらしい。
なるほど、
コンピューターを使い始めた時には最初からオブジェクト指向な世界だったのか…。
その人にとってはワープロソフトの中に文書が有るイメージなのか、ワープロソフトと文書は一体化した感覚なのか。
時間順にならんでて、履歴からアクセス。
こういう使い方を見ると、
自分が旧石器時代の原始人になったような気がします。
構造化プログラミング真っ盛りの時にコンピュータを始めました。オブジェクト指向にはまだまだの時代。
だから、
データとプログラムとは別物。データをプログラムで処理するイメージから離れられない。
ゆえに、
ファイルを開く時に単に”開く”じゃなくて開くソフトを毎回選ばないと気持ち悪い。
Windowsのマイドキュメントやデスクトップって”場所”が気持ち悪くて、ついついドライブのルートに自分でディレクトリを作りたくなる。
ディレクトリ構造やファイルの管理や操作するプログラムが見えてないと気持ちわるい…。
数年前から写真管理にPicasaを使うようになって、
最初はやっぱり大混乱してました。これ写真の実際の格納場所はすぐには見えなくて、時間軸だけの管理です。
やっと最近、
ディレクトリや場所がどこなのか知るのを諦められるようになってきた。
それでも、
エクスポートフォルダとか作るはめになると自分で管理しようとして叫び出しそうになる…。
きっと、
旧人です。原人です。クロマニヨンが羨ましくてしかたない今日この頃です。
さらに古い構造化プログラミング以前のもっと原始人なひとはGoto Jampに抵抗感じたりしなかったのだろうなぁと、思い巡らせて、ふと、ああ、ほとんど歴史の表面には現れないけれど、これも文化の変化。こういう見えない小さな流れはいつもいろんな層やいろんな集団に流れていて、それがより合わさって時代や歴史や文明やになってゆくのかもと、石斧を担いで考えたりもするのです。
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