2010/03/03

そして傾向と対策




昔、先輩が「自主制作映画ってみんな”傾向”はあるんだけれど、”対策”が抜けてるのがほとんどだ」


とよく言ってたのは、だいぶ前にも書いた。


で今日は戯言を書こうと。





最近こう思ってます。


言葉に出来ないものを何とか言葉に削り出して、もう一つの視点、今まで無かったとらえ方が出来るだけでも、かなり対策に近づくよなぁと。





でも出来合いの言葉に安易に乗っちゃ出来ない事。それだと”傾向”はわかってもらえるけれど”対策”にはつながらない。


出来合いの言葉に乗るんならもう一度その言葉を取り出す所からやり直さなきゃ。





映画も同じ事。


再発見ってのも悪くない。


たとえ整理され洗練され尽くされてても逆にオリジナルでも死んだ言葉/認識よりはたとえ未整理で稚拙でも逆に手垢がついてても生きた言葉/認識の方が実用になる。





生き死にはその表現が何かと繋がっているかどうか。その表現がその表現以上の何かを作り出しているかどうか。表現自体に閉じてないかどうか。そんな事か。





表現されざるものは普段から目の前に転がっている。それを見ることが難しい。


ついもう表現されていて整理もされているものをそのまま再利用しがち、それは分かりやすいけれど、心は動かされない。しかし追体験や再発見があると見事に蘇る。





なんで面白い映画とつまんない映画があるのかって思うと、そんな事もある気がする。


なぜ同じ場所で同じような被写体を撮って、面白い/面白くないって差が出来るのか。


なぜ面白い/面白くないをあらかじめ読むのが難しいのか。


なぜ知識のみでは映画が作れないのか。





��そういやA.I.への批判に体を持たないから無理だろってのもあったなぁ。なんか的外れな批判だと思った。あんがい言葉が主観を作るかもとも思うので。狼少年とかヘレンケラーとかね)



戯言ついでに、


最近、液晶パネルを天井から吊っているのをよく見かけます。


昭和初期の建物や駅に付いてると、なんか手塚治虫の初期SFマンガに紛れ込んだみたいな気分。


火の鳥未来編の地下都市とかメトロポリスとか(^-^)/


ああ、いまは2010年なんだなぁと変な気分に。



ちらし寿司の予定が、多数決で手巻き寿司になりました。


明日はちらし寿司にするつもり。(^^;)









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