2009/07/11

「エンドレスエイト」涼宮ハルヒの憂鬱:アニメ




涼宮ハルヒの憂鬱の「エンドレスエイト」の4話目の放送が今週ありました。


録画してたの見たんですが、


ハルヒのこのお話は4話目でも終わらずまた続きましたね。





あははは。四回以上もほぼ同じ話を繰り返しますか。


5回目で終わるのか、まだまだ繰り返すのか?


これは面白いことになってきた!





一応どういうことなのか簡単に説明すると、


8月の終わりにこの世界がまるごとリセットされてしまって、8月中旬からやり直す。そして8月の終わりがまた来て…。その無限に続くループを繰り返しているというSF話です。


アニメではあの押井守の名作「うる星やつら ビューティフルドリーマー」と同じ設定ですね。(原因とか考えると原作からしてかなり意識してる気がします)





そういうお話を一話ごとに丁寧になぞって毎回ほぼ同じお話を繰り返すという、セオリー破りな方法を続けてます。映画の表現として斬新といえば斬新。





むかし、映画の演出を説明するのに、こういうのがあったのを覚えています。





"ある男が砂漠をずっと長い間歩いている"


この一文を動画で表現するにはどうすればいい?


本当に歩いているのを長い時間見せる。そうしてもたかだか数分から数時間しか表現出来ない。


でもね、長く続いた足跡を見せれば一瞬で長く歩いてきた事が解る。


さらに長く歩いてきた歩き方、服の破れ、汚れなんかでも時間やその他の事が短い時間の中で表現出来る。





まあそれが今の映画の表現のセオリーですよね。



脱線話を書くと、


ルーカスの最初の「スターウォーズEP4」はこういう様々なものを映像に変換する表現が続出でした。


ホントに砂漠の足跡もやっちゃうし(^^)。戦闘機の汚し方や服のよれ方の丁寧な設定とか。単純なんだけれどとても効果的な演出が上手かった。


昔からのテクニック。まあ映画史上のルネッサンスの一つだったのかも。





ルーカスの心の師匠の一人黒澤明がなぜあんなにディテールに拘ってカーテンの皺や見えないセットの裏側や抽斗の内側まで作ってたのかも、そういう事だと思ってます。


時間も匂いも感情も手触りも想いも何もかもを動く映像という低い次元へ畳み込まねばならない。





脱線に脱線を重ねると、


「惑星ソラリス」(タルコフスキー監督の方ね)で繰り返し現れる死んだ妻。妻Aが椅子にショールを掛ける。その妻Aを宇宙空間へ放り出した後にまた現れた妻B。ショールを脱ぐと椅子に掛ける。妻Aのショールに妻Bのショールが重なって掛けられるやり切れないカットがありました。繰り返しを一つのカットで表現してた。



ハルヒのエンドレスエイトでやっているエピソードの単純な積み重ねは、そういう表現を…時間でさえも一瞬の映像の中で表現する方向を、


否定してます。





なぜこんな事をするのかというと、


まあきっと斬新な表現をしたいという事よりも、原作小説がもう何年も止まってしまっている人気作品なので、できるだけ一つのエピソードで放送回数を稼ぎたいってことなのでしょう。





これはまるでSF作家の筒井康隆で有名な、ネタが浮かばない時の枚数稼ぎの必殺技 "兵隊出して点呼" ですね。


兵隊のかわりに"ループしている時間"ってことか。





兵隊出して点呼も技としては、答えない反抗的な奴がいたり、ついでに不安なことを質問してしまう新兵がいたりして、退屈させないようにやるもんなんでしょうが、このエンドレスエイトでは絵でやっているようです。


ほぼ同じシナリオですがカットの使いまわしは無いようです。


どうも原画も違う人がやっている感じで、キャラの絵が変わって…いえ意識的に変えているような気もしてます。


カット割や絵柄で競作しているような感じです。





が、まあ制作側の思惑が放送回数稼ぎにあるとしても、それを何とか面白い試みにしようとするのがよい現場。



エンドレスエイトを見ていると、


アンディ・ウォーホールのキャンベルスープの缶の写真を複製して並べたやつや、モンローの顔を複製して並べたやつや、眠る男を映画に撮ったフィルムの最初と最後を繋げて無限ループにして何日も上映し続けたという「Sleep」とかを思い出します。





前にも書きましたが、


第二シーズンのエンディングアニメがどうにも実験映像作家の伊東高志のパロディに見えたり、


オープニングアニメの周辺光量の落ちたフィルム撮影や印刷技術使った表現の再現に何かしらの動機を探してしまいます。


「ミクルの冒険」の話を原作設定のビデオ映画ではなく8mmフィルム映画としてやってしまったのも考え合わせて…。





そのうち


ウエディングドレス着た誰かが走ったり、ジャンプしてストップモーションでぐるぐる回ったり、真っ白な画面からゆっくり霧が晴れて山が見えたり、リンゴが腐ってゆくインターバル撮影だったり、いきなり画面が燃え出してそこに容赦なく続きのフィルムが突っ込まれたり、空中に投げているスケッチブックの上でアニメが展開したり、映像がそのままサウンドトラックになってたり、コピーをかさねて荒れた映像が動いたり。写真の中にカメラが入ってしまったり、


そんな映像が出てきそうな気がしてきました。





涼宮ハルヒの憂鬱第二期は60~80年代の実験映画をコンセプトに取り入れているんじゃなかろうかと…





はいはい!そこのお兄さん、お嬢さん、当たるも八卦、当たらぬも八卦。掛けなきゃ当たらないよ!男は度胸!女も度胸!さあ!はったはった!!!





(〃^∇^)









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