2010/02/28

Re:先日は。。。(02/28)




日曜の午後、一人で大阪、千里中央へ。


北大阪急行千里中央駅で降りる。来たことが無かったけれど、駅と地下街が何だか遊園地のような面白い接続方法。





目的は宝塚造形芸術大学の卒業制作上映会





観たのは「今日の家族」と「走れエロス」の二本。


どちらも高校が舞台。


なんだか高校生のころ観たり撮ったりしていた8mm映画を思い出しました。


なぜだか同じ匂いのする瞬間がいっぱい。


使ってたのは8mmフィルムとデジタルビデオで違うのだけれど、でも質感や視点の位置やアングルや差サイズや露出や演技のさせ方が似ているのかも。生徒やってた記憶が生々しい時に撮るあの独特の画。


その舞台に撮りに来ただけなのかそういう場所でちゃんとすごした事があるのかで画がかなり違ってくることもあります。観光映画はそれが無いのが逆に魅力なのだろうし、大林宣彦の尾道はやっぱり何気ない道に対してもそのデコボコまでよく知ってて撮ってる感じがしてしまうのです。オフィスや工場や役所や邸宅やいろんな舞台でもそうなんでしょう。





でもさすが大学映画コースな専門。ズームを使わずに、レール敷いて移動撮影してるらしいショットがあったり、カット割が洗練されてたりレベルはなにげに高い。


それにデジタルビデオになってランニングコストが下がった分レベルは上がってるんだなぁとも思いました。カメラ万年筆論というかみんな発表の場が出来たら筆力が上がることの様な意味もあるのかなと。





17時30迄観て、急いで神戸へむかう。


急ぎつつも振り返ると会場の千里ライフサイエンスセンターのビルが面白い作りなのに気づいて、カメラを取り出してパチリ。


何だか19世紀の日傘を持ったご婦人って趣きのビル。


巨大サンルームがそんな想像をさせるのかな。





日曜なのに何だか電車が混み込み。ちょっとしたラッシュアワー。


んで、まだ暖房入っているのか暑い。大汗かく。





19時から元町のバーsonoraでアカツキさんのマジックのイベント。


新ネタ続出。


楽しい。(〃^∇^)/


いろんな人に再会。


映画「Magick」でいろんな人に出会ったなぁ。





といいつつポーランド産の「プラウダ」というウオッカで酔っ払う。


旨かった。









2010/02/27

写真




振り返った。


蒼い色の空。


外付け階段。





なんだろう、人の気配。


誰もいないけれど、誰かがいる。





引かれるままにカメラを縦位置に構えて広角いっぱいでパチリ。





露出はもう少しアンダー気味の方がよかったかな。


絞りf5か。もっと絞り込んでフォーカス深くした方が面白いんだろうけれどf5.8以上絞れないものなぁ。このカメラだとシャッタースピードで弄ることになる。後処理でもう少し暗くしよう。





構図かえてもっと階段に近づいて撮ってみる。


あららアップにすると人の気配が消えたなぁ。


やっぱり一枚目がいいな。





一年前の4月10日に撮った一枚。









2010/02/26

Re:昭和13年!(02/26)




昭和13年発行の「ラジオドラマの作り方」って本があります。


��今調べてみたら 林二九太著、東京新陽社刊 ってやつかな)





高校生の頃の話です。


かなり古い校舎でした。図書室奥の書庫室に作り付けの本棚は天井までびっちりある奴。上の方は梯子を使います。梯子のフックを棚の高い場所に付いてる真鍮の手すりに掛けて使う型。でも誰かが梯子使っているのを見たことはほとんど無かったです。そりゃ面倒だもの。


で、ある時なにを思ったか本棚の上の棚を漁ろうと思ったのです。けっこう古い本も好きだったので。梯子を掛け替え掛け替え登り降りしてた午後。


それで見つけたのがこの本。


一応戦後の貸出カードもついてたけれど真っ白。数十年間この棚の上で眠ってたのか。





これが面白かったです。


技術の方はフェード/スニークやバックグランド音やSEやBGMや音のマスキングまで解説してあったのかな。


脚本についてもけっこう書いてました。


タイムリー(あはは)なオーソンウエルズの「宇宙戦争」など。


その中に今でも覚えているラジオドラマのプロットがあります。


昭和初期のラジオ番組。





赤ちゃんが生まれる場面から始まります。


でも産声があがった瞬間に看護婦や医師が息をのむ。母親の悲鳴。


場面転換してその子の部屋。「なんで僕には友達が出来ないんだろう」


屋根裏部屋にあがる。今まで知らなかった鏡というものがある。開く、男の子の泣き声。そして鏡の割れる音。


学校、少年が教室に入る。一瞬静まる教室、そしてはやし立てて嘲る笑い声。


そうやってその少年が大人になってゆくまでのスケッチを重ねる。


そして、


厩舎で馬を相手に働いていた彼は、ある日、暴走馬を止めて女性を助ける。


実は彼女は盲目で((^^)あー映画版「フランケンシュタイン」や石ノ森章太郎の「ロボット刑事K」みたいなパターンだ)


ラストシーン。寝室で子供に父親が物語を聞かせている。


「そうして呪いをかけられた王子さまは王女さまのくちづけで美しい青年に生まれ変わりました」


「ねえ、お父さん。それ本当のこと?」「ああ本当にあったことだよ。おやすみ」


END





いやあもうこれは、昭和初期の英語放送なんてもう多分聞く事はないだろうと思うけれど、この話は面白いよなぁと思う。


オチは映像が無いことを逆手にとって鮮やか。上手いなぁと。





昭和の終りの秋の一夜、昭和の初めのラジオドラマで楽しまさせていただきました。


そのドラマを紹介してた本が真珠湾攻撃の3年前。ディズニーの「白雪姫」の頃。


そういう一夜をすごした数ヶ月後に映画を作ろうと8mmカメラを握りました。


母校も数年前に廃校になってます。あの図書室の蔵書はどうなったのか。





後年デビッドリンチ監督の「エレファントマン」とかもありましたね。





広告で向こうから飛び込んでくるロードショーの映画も面白いけれど、まだ知らない映画や何かが今も棚の上の方に眠っているのだろうなと思うのです。


梯子を登ってみるのも楽しい。









2010/02/25

季節の変わり目




気温が変わる時期。


光が変わる時期。





なんだか、


季節についていけなくなったりもします。





(^^)









2010/02/21

「シャイニング」と「エミルタージュ幻想」

昨日に引き続いてまた映画のうだ話を。





「エルミタージュ幻想」(アレクサンドル・ソクーロフ監督2002年 Google 検索)という映画があります。


今日ふと、あれを「シャイニング」(スタンリー・キューブリック監督1980年 Google 検索)との二本立てで観たら面白いかもと思いつきました。





「シャイニング」が一本目で、あのラストシーンに続いて、「エルミタージュ幻想」が始まるのです。


まあ幼稚な悪戯のような事ですが。





幽霊話。人であって人でないものたちの世界。死んだ人々の生命。…幽玄に向かう。


そんな二本立てになりそうかも。


とっぴかもしれませんがあの二本はあんがい底で通じている気もするのです。





映画の「シャイニング」は原作のスティーブン・キングが怒りました。後年自分で脚本書いてミニTVシリーズ(シャイニング (テレビシリーズ) - Wikipedia)作って映像化やり直したりしてた。


TV版は映画版よりも小説版の方向で描いてました。特にラストは小説版よりもさらに映画版の逆方向ってことを目指してた気がします。


映画版もTV版も原作を真ん中に両極端でバランスしてるような。キューブリックの映画版のラストが無かったら、TV版のラストも無かったろうなぁと。





キングの怒りは映画版が「輝き」について無視して「悪」や「ホラー」のみの映画になったからとも言われてます。


私は勝手に、


キングがシャイニングの「悪」を造形するときに「父であることのコンプレックス」「息子へのコンプレックス」を使った。それはキングにとっては自分のハラワタから血まみれで取り出したような切実な問題でもあって、まだ若い父のキングにはかなり痛みを伴う作業だった。


でそんな風に痛みと共に造型した”私”の分身のような悪なのに、まったく情に流されないタイプのキューブリックは映画のラストでなんと


「まあそういうのもそっち側からみたら案外楽しい世界かもよ」


と簡単に肯定しちまった。


それでキングの深い怒りを誘ってしまったんだろうなと。


キューブリックにしたら話の一番気に入ってる部分を素直に多面的に魅力いっぱいに表現したのに、何で地雷を踏んだ事になるのか意味不明だったりもしてたり。


キングはわざわざ無神論者であると宣言してる人なのかもしれません。つまり神の不在や存在や善や悪に拘る。


対するキューブリックも無神論者だろうけれど、「神ってなに?オイシイのかな?」っていう最初っからの無神論者かも。べつに居たら居たで面白い。どんなんだか観てやろうぐらいな。善も悪も絶対の価値ではなく、指標にすぎない。


そりゃぶつかったら拘った方が血管切れそうになるわなぁと。


そんな勝手な想像を楽しんでます。





であの映画「シャイニング」のラスト、魑魅魍魎の世界がとっても魅力的にも映るラスト。


あれから「エルミタージュ幻想」の中世から現代に向かって数百年分のワンカットの旅が始まる二本立て。魑魅魍魎の旅。





「エミルタージュ幻想」で現代の美術館の部屋で監督の本物の知人をキュースチン伯爵が紹介するシーン。あれが興味深い。もういいシーンは続出な映画ですがあのシーンは…。


昼間の太陽の下で幽霊たちが歩き回っているような感覚。


実は旅をしてきた私たちこそ幽霊側であることがハッキリするシーン。


幽霊側から描いた幽霊話。


そして私たちは、またこの現代から現実から生きている人の世界から離れて旅を続けなければならない。


生死が反転した世界。





そしておしまいはあの海…。美術館の外にあった海。箱舟を包んでいた海。別の世界のさらにまた外側。そこに向かって行く。





そういう二本立て。すこしだけの悪戯。





まあ、ちょっと思うところがあってここんとろネットの怪談話や幽霊談を読みふけっているので、そんな事を思いつきました。



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エルミタージュ幻想






2010/02/20

タルコフスキー映画祭2010




イメージフォーラムでタルコフスキー映画祭2010をやってるらしい。


いいなぁ。スクリーンで観たい。


大阪にも廻ってこないかなぁ。





ネットで「ノスタルジア」が一番好きという意見を読むことが多いような。


一番完成されたかたちなのはわかる気がします。


私は「ストーカー」のあの地に足のついた感じが好きです。





後年の「ノスタルジア」「サクリファイス」の二本はやっぱり神様の話だよなと思う。


それゆえ美しい。神々しいとか聖なるものとかって表現が伝わるのかも。


大きなものに祝福された世界。「聖なるものあっての私」





でも「ストーカー」は私は私である感じを強く受ける。


神に捨てられて、ではどう生きるのか。


映像もルシファーとか悪魔とかの印象が残る。


たぶんきっちり計算して作り出されたそういう印象。


あの娘も、もしかするともはや人間ですらないのかもしれないけれど、でも、それでもあの美しさ。


それはたぶん「私は私である」ということ。


そしてそこにかぶるセクシャルな欲望の詩。


あの「望みのかなう部屋」で芽吹いていたもの。


神様いなくても捨てたものじゃありません。





きっとタルコフスキーさんは自分は何だろうってずっと考えてたのかな。


西洋と東洋に挟まれた国に生まれて。


がっつりキリスト教徒で、でもGODの居ない東洋の哲学に惹かれて。


芸術こそ全てと憧れて父の詩を引用し。


映画の為にこだわってた故郷を離れ、でもだからこそ故郷がテーマの映画を作り続けて。





86年に亡くなった。


その時、自作の徹夜仕上げ作業中に仲間から聞いて、並んでた深夜のホカ弁屋の前で思わず大声あげて悲しんでしまいました。


その夜はちょっと作業する手が動かなかったです。


そうかガンを知ってたから故郷を捨てたのか。亡命したのか。一本でも多く自分の映画を作る為に。





あんな弩天才でも簡単には映画作る状況にはなれなかった。


交流のあった黒澤明だって映画が作れない時期がほとんどだった。


たかが映画、されど映画。









2010/02/18

Re:楽しそう(02/18)




神戸元町の栄町通に出来たカフェLadyHamilton(


ホームページはこちらの方がいいのかな?)で、


今年作る映画の打ち合わせ。


店内にミニクーパーの車体がどかんと置いてあったり、なかなかにオシャレな雰囲気。


お昼食べてなかったので、まあ何か軽食があるだろうとメニューを見たら、


置かれた小さな黒板の最初に





「ぼっかけうどん おにぎり付き 500円」と大きく書いてありました。





ちと空気感が変わった気がしました。私には好ましい方向に。


ご飯なんにしようかなと選んでいるとやはりその「ぼっかけうどん」が一押しなんだそうで。


しかもコーヒー付き…。その値段で。


旨かったです。ご主人が煮込んだらしいすじ肉がたまらない。





思えばその「ぼっかけうどん」がその後のワンダーランドへの入り口だったのかも。





打ち合わせしながら食後のアイスコーヒー飲んでいると、カレーを食べにきた方が横の席に。


でその方はこちらの打ち合わせ相手と話しだして、目の前で4月のイベントが決まっていきました。


そのカフェのデザインとイベントを担当されてる方でした。


で、ちょっとパフォーマンス観せてという話からいきなりカフェのお客さんも巻き込んで数分間のショーが始まったり、カフェの常連さんたちとなんか芸術サロンみたいなダベリが始まったり。


夕方に出た時はテンション上がって笑顔いっぱいになってました。





うん、なんかよい店に出会ったのかも。撮影&上映…。









2010/02/17

干渉波




重なるときは重なるもので、


色んな方面で色々起こる。





それでも、


今日は懸案が一つ片付く。


PTA広報誌初稿完成。悪くない出来。


昼ご飯食べ損ねたけれど(^_^)









2010/02/16

船首を波にむけて




いろいろあった日でした。


でも実は


先に進んでいるからかも。









2010/02/14

バレンタインの上映会




I.P.P.P(イッピー)の上映会でした。


写真撮ってもいいって許可いただいたので進行の直前リハーサル風景を一枚。


巨大スクリーンでした。





横田丈実監督作品「天使のゆげ」がもんくなく面白かったです。


あんなおしゃれな終わり方するとは思わなかった。


顔の一部だけがフレーミングされたアップがいいなぁ。





入江 毅 監督作品「遠吠山」


、チャンバラはいつもながら見応えありました。最初の川の中での斬り合いが好きです。


伝奇ロマンなお話ですが、あんがい現代物の怪談かSF奇談としても成り立ちそうな話でした。





さて我らの「magick」ですが、色々と反省点はありつつも、方向は間違っていないなぁと思われました。


大きな会場で写真のような巨大スクリーンで観客と一緒に観ていたのでかなり冷静に。





次はこの味わいを失わないように、どうやって細かい完成度をあげてゆくか。


もちろん様々な階層での構成も要素の衝突も強くしてゆかなきゃいけません。





やっぱり外で上映するのは勉強になります。





といいつつ二回目の上映時は、


隣のたこ焼き屋で港館の監督たちと横田監督で話し込んで、舞台挨拶の時だけ代り番こに立ってました。


(〃^∇^)









2010/02/13

Re:おめでとうございます。(02/13)




親の歳に追いついてしまった…。


実感わかないです。


こんなに未熟者でよいのかなぁと思うここ二十数年。









2010/02/12

Re:となりのばんごはん(02/12)




今日美味しそうなアサリとシジミをいただいた。


さっそく真水と塩水で砂抜き。


晩ご飯にアサリの酒蒸しとシジミのみそ汁作りました。


美味しかった。


晩酌に合う。









2010/02/11

Re:昨日は♪(02/11)




今日はアカツキサトシさんのマジックとMihoさんのライブのイベントに行ってきました。


王子公園のバナナフィッシュというバー。


面白かった。





アカツキさんのマジックはいつもながらさすが。





MihoさんとキーボードのShimaさんのライブは二度め。


毎回感動してます。





去年作った「magick」の制作がアカツキさん、テーマソングがMihoさん。


そういうつながりなので、


イベント前に「magick」がBGVとして流れていました。まだ照れる。


映画も出来上がってしばらくしてくると、照れないで冷静に良いところも悪いところも観れるようになるんですが、


「magick」は私にとってはまだ赤ん坊のような感じです。ちゃんと歩けよ。コケるな。ちゃんとお客さんに気に入ってもらうんだぞと、ハラハラしてしまいます。









2010/02/09

2月14日、短篇オムニバス映画「magick」京都で上映です。




2月14日(日)バレンタインに京都で短篇オムニバス映画magickの上映があります。


入場者には上映作品の内お好きなDVDを一枚だそうです。


I.P.P.P上映会





日時:2010年2月14日 (15:00~(14:30開場)/18:00~(17:30開場)


料金:前売り1500円 当日1800円
場所:京都市西文化会館ウエスティ 創造活動室


地図  〒615-8225 京都市西京区上桂森下町31番地の1


電車でご来館の場合 阪急嵐山線 上桂駅から徒歩15分
上映作品  


○横田 丈実監督作品「天使のゆげ」


○オムニバス アカツキサトシ プロデュース作品 『magick』


    ・アカツキサトシ監督作品 「ビール瓶の想い」


    ・吉田勝二監督作品 「into that world」


    ・衣笠竜屯監督作品 「昼下がりのカフェにて」


○入江 毅 監督作品「遠吠山」












〆切




明日までに修正しときたい原稿が一つ…。


が、現実感が無い。


くう。












2010/02/08

Re:見えるものと見えざるもの(M・メルロ・ポンティ)(02/08)




今日はケアレスミスの山。


うう日記に数時間かかってる…。


数時間かかって書いた記事をミスって消した…。


もうね。


時間切れだから駆け足で。





今日も朝からドタバタ。


が気力失くして、歩いてて道端で立ちすくみそうになる。


いろんな決定をすることが非常に難しい日。


こういう日には人間はコントロール幻想はじめいろんな希望や幻想や妄想に支えられて生きているのを実感する。





昨日のアルコールか、今日の血液検査の為の絶食が引き金か。


うーん







私の見ているもの見えないもの。


他人のそれはまた異なる。


すれ違う。


少数派の一人づつ。だがそれは案外大勢いる。


その違いによる困難は重要な意味をもつ。


それは見えないものがあるという事を教えてくれる。





見えるものと見えないもの。


人による違い。


そして見えないが存在するものの重要さ。





見えないものの重要さ。


私の映画はそうしたい。


そのためのメソード演技。


そのための撮影技法。





世阿弥の『風姿花伝』はそこをもう一歩進めてあえて隠すことにまで到達していた。


見えるものをあえて見えないものにしてしまうまで。





微妙なものが重要になる表現では、


表現しようとする結果の操作より、その仕組みへの操作がキモになる。


型のみや表現された結果のみに陥るとその微妙なニュアンスを逃してしまう。





本質はその微妙なもの、見え隠れするもの。意識して見えないものの中にある。





もちろんCGも今その方向を模索しているし、


映画がCGのみにならないのもそのため。





泣き方を伝えるのではない、


伝えるべきは実感させるべきは想わせるべきは悲しいということ。





そのために、あえて遠回りする必要性。


割り切らないこと。


切り捨てないこと。





それこそが私がやりたい映画なんだ。


そのためにいままでがあった、今ここに居る。





現状に留まり表現の結果だけに陥ると世界を生きる場所を失う。





見える神々と同じく見えざる神々にも祈ろう。


”いまだ生まれぬ国々において、いまだ知られざる国語によって”祈られることも想像しよう。


それらこそが私たちの世界になってゆくのだから。












以下、今日のa_qu_a on Twitterから@a_qu_a - Twilogを使って引用してます。

心がヒリヒリする日。気を緩めたらヤバイな。とりあえず次の目的地に一 歩づつ http://twitpic.com/1213km





15:58:48


私が見ているもの見えていないもの。


他人が見ているものに違いがありすぎる気がする。目に見えないから分かりにくい。


16:21:13


他人との違いによく直面してる人は、そのぶん話してて違う事が前提な気がする。有難い。


16:27:13


と言いつつ、電車乗り間違えた(;>_<;)


16:28:39


さて帰ろうか。 http://twitpic.com/1219cf





16:58:16


が、人が多い。壁が緩んでる。気持ちわる。人込み。携帯に集中


17:02:44


脱出!ほっ(〃´o`)=3


17:05:55


さて、今日の晩御飯は何作ろうかな http://twitpic.com/121ab6





17:08:40











2010/02/07

台本読み合わせ&新作打ち合わせ




今日は竹中哲也監督の新作「イニシャルM」の読み合わせ。


面白くなりそう。


3月に撮影予定。撮影で参加予定。





夜は今年後半に作る予定の映画の最初の打ち合わせ。


去年作った「magick」の第二弾。


原作の方と制作のアカツキさんと映画化の方法を検討する。


またバカ話やバカアイデアを吹きまくってしまった…。


…ブレストブレスト脳の嵐…。


来月末にまたシナリオ打ち合わせ予定。









2010/02/06

雨上がる




言葉を失くしてる。


認識を失う。


記憶が途切れる。


私の連続が途切れる。


私を失う。


それも私。


雨も上がる。









2010/02/04

今日も今日とてドタバタと




今日も今日とて、


ドタバタと過ごす。





明日はもう少し落ち着いていきたいなぁ。





おやすみなさい。









2010/02/03

PC原始人




編集に関わっているPTAの広報誌、いきなり締切りが迫ってきました。来週に入稿。





みんなノートパソコンを持ち込んで作業しているのだけれど、


他の方のパソコンの使い方を見ていると面白い。





いつも、


ワープロのファイル履歴から原稿のファイルを開く人がいて、話しているとどうもその原稿がどのフォルダにあるのかは意識していないらしい。





なるほど、


コンピューターを使い始めた時には最初からオブジェクト指向な世界だったのか…。


その人にとってはワープロソフトの中に文書が有るイメージなのか、ワープロソフトと文書は一体化した感覚なのか。


時間順にならんでて、履歴からアクセス。





こういう使い方を見ると、


自分が旧石器時代の原始人になったような気がします。


構造化プログラミング真っ盛りの時にコンピュータを始めました。オブジェクト指向にはまだまだの時代。





だから、


データとプログラムとは別物。データをプログラムで処理するイメージから離れられない。





ゆえに、


ファイルを開く時に単に”開く”じゃなくて開くソフトを毎回選ばないと気持ち悪い。


Windowsのマイドキュメントやデスクトップって”場所”が気持ち悪くて、ついついドライブのルートに自分でディレクトリを作りたくなる。


ディレクトリ構造やファイルの管理や操作するプログラムが見えてないと気持ちわるい…。





数年前から写真管理にPicasaを使うようになって、


最初はやっぱり大混乱してました。これ写真の実際の格納場所はすぐには見えなくて、時間軸だけの管理です。


やっと最近、


ディレクトリや場所がどこなのか知るのを諦められるようになってきた。


それでも、


エクスポートフォルダとか作るはめになると自分で管理しようとして叫び出しそうになる…。





きっと、


旧人です。原人です。クロマニヨンが羨ましくてしかたない今日この頃です。





さらに古い構造化プログラミング以前のもっと原始人なひとはGoto Jampに抵抗感じたりしなかったのだろうなぁと、思い巡らせて、ふと、ああ、ほとんど歴史の表面には現れないけれど、これも文化の変化。こういう見えない小さな流れはいつもいろんな層やいろんな集団に流れていて、それがより合わさって時代や歴史や文明やになってゆくのかもと、石斧を担いで考えたりもするのです。









2010/02/01

Re:あぁ♪(02/01)




ながい坂 雨音やぶり ほうほけきょ





ホウホケキョ 見上げた空に 冬こけた












今日も検診に。


雨がしとしと。





途中の道で気の早いウグイスが一声だけ鳴きました。


強くて迷いの無い音でした。


句を捻ってみたけれど、どうも一つに決まらない。


二つ。


あのウグイスを見習わないといけません。





病院の庭の花も雨に濡れてます。


レンズをマクロモードにして一枚パチリ。