2010/05/15
ばらばらな日
私は自分の心の状態を表すのによく「時計時間」と「水時間」という言葉を使ってます。
勝手に作った言葉です。
普通に生活していて例えば”1分”という他者と同じ単位で計れるのを「時計時間」、時計のような等分された時間ではなく流れ変化する量の例えば”少しの間”みたいな「水時間」。
違う言葉で言えば、
言葉に近い形で、他人に表現しやすい形でものを思っているのか、
それとも、
言葉のルールから離れて、他人との交流が難しい形でものを思っているのか。
どちらが支配的になっているかで、外面的に生活しているのか内面的に生活しているのかを伝えようと編み出した言葉でした。
私はたまに「水時間」にどっぷり浸かってしまい自分ではなかなか「時計時間」に戻れなくなってしまう事があったので、そんな自分の時々の状況を何とか人に伝えようと。
このあいだ、世の中には「クロノス時間」と「カイロス時間」という言葉があることを知りました。
カイロス - Wikipedia から引用すると
「クロノス時間とは、過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる時間。
一方、カイロス時間とは、速度が変わったり繰り返したり逆流したり止まったりする、人間の内的な時間。」
ってことだそうで。
あっー!ってなもんです。
この言葉を10代の頃に知ってたらもう少し上手く自分の事を説明出来てたろうし、いろんなパニック状態は避けやすかったのかも。教養が足んないよなぁ。
普通はこの「クロノス時間」と「カイロス時間」を同時に意識してたり、その二つの時間を切り替えて生活してたりするのでしょう。
どうも私はその二つを同時に意識したりするのが難しくどちらか一方になりがちです。
そして切り替えも人より下手なようで、「カイロス時間」だけの世界に入り込みやすく「クロノス時間」に戻って来にくい。逆方向の「クロノス」→「カイロス」はけっこう出来やすいのですが。
そう思えば「カイロス時間」を持たず「クロノス時間」だけで生活するような私と逆パターンのキャラクターも想像出来ますね。
私の「時計時間/水時間」風に言えば、考えている事が非常に言葉にしやすく伝わりやすい。逆に言葉に出来ない部分、言葉のルールから離れた実感、内面的生活とでも言うようなものにフォーカスを合わせたり意識したりすることが難しいキャラクター。
このタイプは案外今の社会で問題を感じずに生きていけそうな気もします。その抱えている方向性を意識する事もなく生きて行けそうな。
ちと私の僻みが入っているかもですが。(〃^∇^)
自分に慣れていくのが歳をとる効用です。
だんだん私もこの自分という塊になれてきて、最近は
「カイロス時間」「水時間」上等じゃねえか。そこからなんとか「クロノス時間」「時計時間」に何かいい獲物を水揚げしてやる。応よ!時間の漁師とか時の海士みたいなもん目指そうや。
ぐらいに思ってます。
まま、今日はどうも「水時間」の感じが強くて、中々日記のネタが浮かばない、じゃあ書けない感じを書こうと。
まあ意味は解りづらいけれど曲がりなりにも長文書けたから吉としよう。
(〃^∇^)
JST5月15日9時(GMT0時)の「はやぶさ」地球からの距離 12,443,650 km Hayabusa Live
地球帰還予定はJST6月13日23時頃
��大雑把に、太陽ー地球間の平均距離が 150,000,000 kmぐらい、
太陽ー火星間の平均距離が 230,000,000 kmぐらい、
地球ー月間の平均距離が 384,400 kmぐらい)
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