2010/03/31

さくらのまえ(Memento mori)




桜の咲く前、死を想う。


そして、


花の舞う時、命に感動する。





「そう、死も生も同じものの裏と表」





きっとそれは…


言葉に囚われ、


言葉の中で生活してるから。





「なら、立ち止まって、眺め耳を澄まそう。


名づけられる前のものを見て、もう一度名づけよう」





コードはコード化された記号とコードが示す実体の二つの面をもつ。


ヤヌスの顔のように。





「そして、それは上と下にくり返され、階層構造になる」





だからもう一度その構造の中から"自分"をとりあげよう。


何度でも繰り返し。





「死ぬな生きるな。ただ一つの命としてそこに在れ」















今日は一日、軽い頭痛と少し火照った体でした。風邪ひいたかな。


今日はゆっくり寝ようとおもう。


「そうしとき。


編集環境構築作業はまた明日やれ」









「magick」続編の打ち合わせと「夜の逃げ水」




「magick」続編のシナリオ打ち合わせ。


magick制作のアカツキサトシさん、今回の原作と脚本の若戸仁さん、それと脚本家で今回の脚本作りにご協力頂いている浦山洋子さん。泣けそうないいホンになりそうな予感びしばし。





その後、アカツキさん若戸さんと三人で演劇を観るために移動。





時間が少しあったので晩ご飯。


適当に飛び込んだカフェ 婆沙羅で100時間カレー( Google 検索)プレートなるものをたのんでみる。ネーミングからしてそそられた。カレーと思って食べると、なんか失見当識な感覚に陥る。カレーだと思わないで食べると、おおコクの塊。新しい感覚。


名物料理だったのね。





その後は


「夜の逃げ水」(3/29~31 | 自由表現空間 シアターカフェNyan)というお芝居を観る。


片山加菜さん演出。


夫婦になろうとする人や周囲のコンパクトなスケッチ。


正確なスケッチ。


人のあり方や認識がゆらいでいく。





終わってみたらまだ夜の8時だった。


時間があるんでアカツキさん若戸さんにお芝居を観にきてた吉田監督も合流して神戸/元町のカフェバー、レディーハミルトンに行く。


magick続編のロケに使わせてもらえるかもしれない場所なんでシナリオハンティングにもなるかもと。まともや行き当たりばったり。えらく楽しい酒でした。





みんなと別れて、深夜の帰り道。いきなりダメダメな事がいくつも起こる。


オークションの金額を一桁打ち間違えたらえらいことなる。(翌朝ー先方が良い方で助かりました)(--;)。げげげな事もあったり、げげげなものを見てしまったり。


なんかこうも重なると運なんてものを信じそうになる。






(オマケ)


いい一日の終わりが笑ってしまうほどダメダメだったので、せめて気分だけでもにっこりと。


YouTube - 広末涼子 「だめ」50連発


これ、映画作ってみたいけれど演技とか演出とかが実はよく分からないって人に見せると一発で演技や演出や設定で何が出来るかが分かるヒントになるのかも。「だめ」って台詞のみで広がる世界。


ちょっと神戸活動写真倶楽部 港館 に入ってきたばかりの新人さんにおすすめするといいかもと思ってたりします。









2010/03/29

「はやぶさ」MUSES-Cの帰還




小惑星探査機「はやぶさ」地球の中心から 20000kmを通過する軌道に乗る - スラッシュドット・ジャパン





JAXA|小惑星探査機「はやぶさ」搭載イオンエンジンの連続運転による軌道制御の終了について





うわぁ本当に還ってきた。





6月の再突入が成功しますように。





人類で始めてのイオンエンジンでの惑星間飛行。


アポロ以来の他天体からのサンプル回収挑戦。(トラブルでカプセルに入っているかどうかは微妙だけれど動作はした)





上手くいくと本体が燃え尽きるのは残念。ヴォィジャーみたいに続くか、機体を見たかったなぁ。


回収カプセルだけは還ってくる。


こういう人類全体に関わる活躍が忘れられないでみんなの記憶に残ってて欲しいなぁ。






小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)の公式ページ


JAXA|小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)





Wikipediaの「はやぶさ」項目


はやぶさ (探査機) - Wikipedia









2010/03/27

クランクアップ




この間から参加している自主制作映画の撮影。


今日でクランクアップでした。





数ショット、DOFアダプターに古い135mmレンズを付けて撮しました。


画面に変化を。(〃^∇^)/





その後アフレコをして今日で役者さんと撮影スタッフはあがりです。









2010/03/25

写真の撮影と映画の打ち合わせ




今日はマジシャンのアカツキさんの写真を撮りに元町へ。


撮影の後に今年後半に作る映画の打ち合わせ。





写真をサーバーに送っているけれど、うちの回線は非対称だった。


上りはとても遅い。


数時間かかってやっと1/4ぐらい送信。時間がかかっちゃったなぁ。












2010/03/24

著作権の切れた過去の名作映画やドキュメンタリーをダウンロード - GIGAZINE

著作権の切れた過去の名作映画やドキュメンタリーをダウンロード - GIGAZINE

素材に使うのはダメかな


MinatokanNG kobe,Japan

ちょっとおバカな夢をみた




夢の中で…





シナリオが出来上がった。


打ち合わせの席で机の上に置かれた原稿の束。メモや付箋紙がたくさん挿んである。


完成稿。ふう、とりあえずこれで行くぞ。





打ち合わせが終わって、一人で帰り道。


ああ、もうキャスティングも進めなきゃと思う。


前から一緒にやろうと話してた女優さん、あの役ならぴったり、いい感じになるなぁ。


歩きながら携帯で電話してみる。





私「もしもし、私です。えーと、前にお話ししてた映画のこと覚えてますか?…(略)…でやっとシナリオが上がったんで、どうでしょう?まだご興味あります?」


「ハイ。ゼヒ。デタイデス」


私「んじゃ、シナリオもっていきます」


「…ムニャ………」


私「…あー、もしもし?…もしもし?」


「………」


この音は微かに寝息かな。


ろれつがおかしかったし、酔っ払ってはったのか、寝てはったのかな?





んーいちど改めようかな。


切ろうとしたら、


すこしテンションが低い男の声で


「もしもし」





あ、そういや結婚してはったなぁ。旦那さんか。


私「あ、どうも、お世話になってます」


旦那さん「…ごめんなさいね…、なんか携帯持って寝てまして…ここんとこ体調良くなくて…」


私「あー、そうだったんですか」


旦那さん「…映画のお話ですよね?」


私「はい」


と旦那さん相手に一応の状況を説明する。


話してる間に駅について、ガラガラの電車に乗って話してた(夢だから。現実ではそんなことしないです。)


旦那さんも映画の話は聞いてたみたい。でも体調悪いのも心配してはるのが伝わってくる。


駅に着いて、バスに乗り換える。





旦那さんも少しろれつがおかしい。二人で飲んでたのかな、でも二人共疲れてはるなぁと思う。


私「うーん、じゃあ今回は一応白紙にもどして改めてまたって事にした方がよろしいんでしょうか」


旦那さん「…あー、でもその映画はとてもやりたがってましたから…」


私「ああ、それは。はい、こちらも同じなんです。うーん」


旦那さん「…うーん…」


なんだかなかなか話が進まない。





と、電話の会話の向こうで微かに件の女優さんの寝言らしき声「…もう…」


寝言「…えっち……なぁに…して…る…ん…」


「…」


旦那さん「…あー、ちょっと起きたみたいで……ちょ!ちょっと待っててください…」


どたん、がさごそ…なんだか分からない音…


なんかまぁ、人の寝室を覗いちまったみたいな気分。





このまま切った方が良いのかなぁと悩みつつ、耳を澄ませてることに気づく。


バスの窓の外に意識を向けると、そこには午後の青い空が広がってた。


膝にはシナリオ原稿の入ったカバン。


耳には思いがけず闖入してしまった夫婦の私生活。





ああ映画を作るってのはいつもこういう事なんだよなぁと、


空の深い色を眺めながら、


バスに揺られてました。





バスは街の中央部からへりに向かってガタゴト進んでゆく。






えーと。うん。なんか恥ずかしい夢をみたみたいです…。


一応おことわりを、登場人物は自分以外は特定の誰かではないです。


いやあ、起きてから一人赤面してました。何より俺は自己中だなぁと。映画を作るときはさらに酷くなる。


迷惑かけるのも程々にしとけよと無意識が自分自身に語ったのかもしれません。









2010/03/22

自主制作映画の撮影




なか一日あけて今日もまた知人の映画の撮影。





今日は晴れ、穏やかな天気。


しかもごく軽く薄曇り(黄砂かな?)完全な晴天よりは光が柔くて撮影には好都合な晴れ。





あと一日でクランクアップ予定。












2010/03/21

港館ミーティング




港館のシナリオワークショップとミーティング。


人数が少なかったのでワークショップで今企画している作品についてのブレストをする。


最初よく分からなかったお話が、掘り下げていくととても面白い話だって事が分かってきた。


これは完成版が観たいなぁ。









2010/03/20

自主制作映画の撮影




この間から参加している知人の映画の撮影。





今日は風が強く、ハードな撮影。


ちっとちかれた。





が、今日は大気が不安定なせいか、不思議な空気感。


うーん。こういうとき限ってカメラ持ってくるのを忘れてる。


残念。









2010/03/19

東京都条例の「非実在青少年」規制問題




ここ数日ニュースで良く見かける東京都条例の「非実在青少年」規制。


今回のは通らなくてよかったと思う。





条例反対側のまとめ


「非実在青少年」問題とは何なのか、そしてどこがどのように問題なのか?まとめ - GIGAZINE





条例賛成側


第28期東京都青少年問題協議会・議事録(PDF)


青少年健全育成条例改正案の成立に関する緊急要望書を提出 | 社団法人 東京都小学校PTA協議会





賛否両論


「非実在青少年」問題――ネットで広まる“反対”と“賛成”の意見 - はてなブックマークニュース





東京都青少年保護条例改正案全文


番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載: 無名の一知財政策ウォッチャーの独言





内容の検証は色々されてる。





最初に、


私は実際の子供にSEXをやらせた作品や風俗なんて絶対反対。ただしここでの子供ってのは14~16才ぐらいまでだろうと思うし、現行法の女性の結婚出来る年齢が16才からってのにも反対してない。


性的表現や暴力表現のある作品も鑑賞できる環境は必要だと思うが、自分の趣味じゃない性的表現や暴力表現を観たくない人のためのゾーニングも必要だと思ってます。


ただし、未成年であっても性的/暴力的表現が含まれる作品に接する権利はあると思ってます。行使するかどうかは本人とその子に関わるその時々保育者達それぞれの判断でケースバイケースだと思ってます。





今回の改正案は手で描いたものやコンピューターで作ったものも規制対象にしようって事で、撮影/録音時に児童が一人も存在しないものも規制対象なんだそうで。


まあ、ゾーニングの為なら基準と規制方法しだいでは仕方無いかと思いますが、今回のはその基準がかなりあやふやなままで未成年に絶対見せないって事で、これでは逆に人権を侵害するのではと。





第七条二に、規制すべき非実在青少年の定義と行為の表現が書いてあるのだけれど、これをまとめると


「未成年と思える架空の人物が性的に悪い感じのする行為をしている」としか言いようが無い。じつは認識や判断する主語や具体的基準が見えない。誰がどういう基準で判断するのかは規定されてない。これじゃ「悪いことをした人は悪人って表示します」って書いといて、その”悪い事”の具体的内容はは随時担当者が判断しますって事じゃないか。そんなんで悪人お断りとかされた日にゃ、担当者の権力をコントロール出来ないんじゃないかな。





昔、東京国際映画祭に呼んだ「美しき諍い女」って映画。


ヘアが写ってるんでボカシ入れて上映しますってやって、それに監督が激怒して作品引っ込めた事件があった。


内容は老画家が裸婦像を描く情熱を淡々と描いた傑作。全裸のモデルを前に静かな孤独な創作の戦いを繰り広げるのがメインの映画。カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリとってたな。


そのモデルのヘアが写ってるんで画面にボカシ入れますって、そりゃ映画作った方にしたらたまらんわなぁ。一体おまえらはこの映画の主人公が格闘しているものを何だと思ってるんだと。


で国際的大問題になって、それからなし崩し的にへアが写っていてもOKになった。


あれが日本映画だったらダメの一点張りだったかも。


で最初は芸術作品限定って言ってたのが、何が芸術で何が芸術じゃないかなんて誰にも納得出来る判断が出来ないんでイケイケどんどん。しばらくしたら週刊誌ヌード写真もAVでもオッケーになってたなぁ。


恐怖の担当者の胸三寸。





今回の第二条も後から拡大/縮小は担当者の胸三寸。でその担当者に対する基準も規制も無い。


そりゃ規制される方からみたら恐い条例。





さらに言えばその胸三寸で、


観ることが出来る作品を規制されてしまう子供の不幸。





未成年者が源氏物語を読んでいいかどうか、マルキドサドの著作を読んでいいかどうか、ジブリアニメを観ることが出来るかどうか、「風と木の詩」は、永井豪の「デビルマン」は、日野日出志は、12才で王子様と結婚する設定の白雪姫は、不思議の国のアリスは、その作者がアリスのモデルの女の子を撮影した半裸写真を観ていいかどうかは、誰がどう決めるんだろう。





そして人生の中でも感受性の高い時期な若い人々に、それらを味わうことを禁止する事、


それで次世代へ伝わるのを制限する事の権利と能力は誰にあるのだろう。





そこは歴史で学んだ「退廃芸術」論や「何々主義芸術」論と同じじゃないか。誰のどういう価値観?それを社会全体に当てはめてしまって大丈夫なのか?長い目でみて信条思考思想の自由を放棄する対価に見合うほど人を幸せにするのか?


ずっとそういう問題をくり返してきた。だからどうしてもまたも詭弁なのではと疑ってしまう部分が残る。


今回のも今までの「退廃芸術」や「帝国主義/共産主義的作品」や「赤狩り」や「軍靴の音が」とラベルや物差しやお題目や錦の御旗のみが変わっているだけで構造は同じではないのかと。





少なくとも、


大切なものを制限するならそれを判断する基準と判断する能力そしてそれを行う権限の裏付けと範囲を制限を、受ける側みんながきちんと合意しなきゃいけないんだと思う。





あと、


私が引っかかったのは、第七条の一。実はこの部分は現行の条例にも含まれているらしい。





��略)当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。


一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの





「青少年に対し、性的感情を刺激」ってのが健全な成長を阻害するおそれがあるものなのか。


青少年が性的感情を持つのは望ましくないって事?


人の健全な成長には性的感情の発育は含まれないのか?





うーん、これの言いたいことは「性的感情を”悪く”刺激し」かもしれない。


そうだとしても異議があるけれど、まあそれはまだ教育内容の意見の相違って事かもしれない。


でもここに書かれたのは性的感情を刺激ってだけ。これでは性的感情の全ての意味になる。





これが何かのエッセイで筆が滑ったってのなら、書き手の無意識と片手落ちを笑って済ませてればいいけれど、


これは論理的考察と推敲を重ねた条文。そのために読みづらくなろうとも社会の構成員に対して是々非々をはっきり規定する事が目的の条文。





「青少年に対し、性的感情を刺激させないようにする」





そこでこれでよしとしてしまう思考は恐い。


本当に子供の健全な成長を願っているのか?


人の健全な成長のためには性的感情を刺激される事も必要だろうに。





恋物語に心奪われたり、性的なシーンやお話に接したりして、性的なものに憧れたり、嫌悪したり、楽しんだり、恐怖したり、悲しんだり、嬉しさを感じたり、怒ったり、ドキドキしたり、暗い感情を味わったり、喜びを感じたり、そういう事が不可欠じゃなかろうか。


そういう事を繰り返しながら自分の中の性的なものを上手く受け入れてコントロール出来るようになってゆく。


まあ親としては中でも危険なものにはいきなり実体験ではなく創造物で疑似体験を重ねて免疫レベルを上げといて欲しいのだけれど。出来る限り。(^_^;)





健全な成長って


大人にとって扱いやすい人間を作る事じゃない。


その子供が自分なりに幸福を追求出来る力を付けさせる事じゃないのか。





いったいこの「人を人とも思わない」文意は何処から来たのだろう。








でね、その後の、「残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し」ってのも実はそれを防止するためには助長/誘発する事も必要なのじゃないかなと。


人の足を蹴って倒すのは暴力だよね。ではその方法を教える柔道は暴力を助長するのが目的なのか。違うよね。少なくとも今柔道を習っている人が目指すのは暴力を管理する事。特に自分の中の暴力を。


残虐性や自殺、犯罪も自分の中にあるそういう方向性に向き合う事が必要なんで、自分の中で発見しなきゃ話は始まらない。自分はそういう事はやらないと単に信じ込んでるだけじゃ危なくてしょうがない。


その向き合う作業では一時的には助長/誘発する事も必要になる。





子供の頃よくやったドッジボールって上手く出来てると思う。


人にぶつける為にボールを投げるスポーツ。


当たると痛い。人にボールを投げつけるは自分の中の残虐性を出さなきゃいけない。


その残虐性を管理して上手く昇華させてやれば、敵チームになった子ともまた遊べる。


逆に残虐性を暴走させて顔狙ったり、殴り合いしたりしたら楽しくなくなってしまう。


自分の残虐性すら楽しむ事で管理出来るようになってくる。


確かに幼児のうちから(怪我しないような工夫はして)やっといた方がいいスポーツだと思う。





自殺を防止するには自分の心の昏いところを見つめる作業が必要になる。


犯罪を防止するにはなぜしてはいけないのか自分で問わなきゃいけない。





それってそのなんだ修行途中とか、今回ので言えば読書中や観賞中だけみたら助長/誘発と変わらない。


最終目標がちがう、目的が違う、じゃあその目標、目的が何なのか誰がどう判断するの。





ドッジボールは残虐性を助長する?コントロール力を付ける?危険?安全?


例えば仮面ライダーは残虐性を助長する?正義感を育てる?





誰がどうやって判断するの?


作品次第なの?作り手の動機次第なの?受け取る側の問題のみなの?その時々の周囲の状況はどうだろう。





それは本人と回りの大人が状況や子供や人それぞれに毎回個別に一つ一つ判断してゆくしか無いじゃない。


間違えたら、毎回その間違いを一緒に考えるしかないじゃないか。


全部に当てはまる正解なんてものがどこかにあるはずも無いんだから。





で、もし条例にするんなら、みんなに当てはまる、これはダメだ止めろっていう、皆が納得いく具体的判断基準を示して誤解の無いように条例に書けばいい。





具体的に書かないで担当者に判断を押し付けるのは危険な無責任だと思う。









売_春 って楽天のNGワードなのね。サド侯爵の方かと思って延々悩んだじゃないか。


反対/賛成に関わらずそれについて語ることが出来ない仕組み(>_<;)






2010/03/18

春の嵐の前




春先の天候不安定。


毎日、気温が変わる。





それを眺めながら、


私について想う。





今年はなんだかいつもより天候不安定が激しいなぁ。


そういうものに敏感になった。


成長なのか、変化なのか、衰退なのか。


その言葉の違いも、実は同じ事をどう見るかってことなんだろう。





より良く生きるってのは、


眺め疑い狂いつつ生きることのような気がする春先。





嵐の予感。









2010/03/17

ムーンチャイルド、つづき




この前さわりだけご紹介するつもりで訳してみた「Moonchild」(King Crimson)。


やってみたら思いのほか楽しい作業でした。


��~2行だけのつもりが、気づけば最後にさしかかる部分までやってました。


最後の部分は難しい気がして、中途でアップ。





今日は最後まで挑戦してみよう。


ついでに前の訳も合わせていろいろ変えることになると思います。





「Moonchild」(King Crimson/Pete Sinfield)の原詩は


Moonchild - ETWikiとか


moonchild king crimson 歌詞 - Google 検索とかからどうぞ。





では



「ムーンチャイルド」






そのむすめを月の幼子という


流れの浅瀬で舞う


はかない月の幼子


柳の木陰の中で夢を紡いで





奇妙な蜘蛛の巣をもつ


 木々と語り


噴水の石段で


 眠りについて


夜の鳥の歌にそって


 銀の杖をなびかせ


頂きで


 太陽を待っている





そのむすめは月の幼子


庭で花を摘み集める


あどけない月の幼子


時の響きに漂流して





乳白色の部屋着で


 風を捕えて帆走して


日の時計に


 円を描いて石を落とし


夜の終わりの幽霊と


 かくれんぼを楽しみ


太陽の幼子からの


 微笑みを待っている







moonchild king crimson 訳詞 - Google 検索からだともっとちゃんと訳されたのが色々見つかると思います。





ピート・シンフィールド (Wikipedia)さんすごいなぁ。


ゆっくり訳してみて色んな構造に気づけました。





実は夜から明け方に向けての時間の流れがくりかえされていること。





川、噴水、波、漂流、航海と水/海のイメージの展開。





繰り返し言葉を変えて現れて、最後に唯一の他者として/月の子の動機として語られる、太陽の仕込み方。


銀の杖silver wands、乳白色のガウンと帆の印象Sailing on the wind in a milk white gown、日時計とサークルストーンcircle stones on a sun dial(たぶん暗に古代遺跡のストーンサークルのイメージかも、例えばストーンヘンジは夏至の太陽が登る位置があわせてあったり「月と太陽に基づく数多くの天文学的な配置が見られる」とよく言われたりする)、夜明けの幽霊ghosts of dawn(もしかして夜明け直前の曙光やマジックアワーの事かも、太陽の幽霊か)、太陽の子供sun child.これらは全部、太陽にまつわること。





杖(ワンド…魔法使いの杖っぽい)はきっと夜の闇で銀に何かの光が反射してきらめいているのでしょう。それを夜の鳥の歌に合わせて波打たせるのか/もしくは逆に歌を指揮しているのか。月の魔術師の印象。太陽光の反射で光ってる月。





ムーンチャイルドの眠りから始まり、眠りの中で眠り、その中で太陽を待ってたりとも取れます。


川の浅い流れから、漂流し、風でセーリングする。きっと海の奥に向かう旅。


「時の響き」と訳してみたthe echoes of the hoursを「思い出のこだま」と訳されてる方もいました。なるほどthe hoursは記憶のことかもしれません。それで漂流する。ミルク色のガウンを着てまた航海を続ける。


きっとそれはインナートラベルだろうなと。





同時に庭や噴水や日時計の人工物のある場所から鳥や幽霊と遊び、山の頂きで太陽を待つ旅でもあり。


こちらはきっと他者を求めての上への移動。





二つの移動の同時進行。どちらがどちらの夢なのか。夢と現実は同等になってしまう。月の世界で夢とうつつは同じもの。





訳してみてはじめてこういう諸々に気づきました。





少ない言葉で物語を語っている手口の一端も感じたり。


ビートってことかな。


実はそのへんは気になってた「バトルスターギャラクティカ」(バトルスター・ギャラクティカ 41話「英雄の証」 - 竜屯の拷問映画制作日記2009/05/05- 楽天ブログ)の台詞テクニックにも通じてたりします。





この詩は現在と過去を重ねて進行させている気がしてます。


もっと言ってしまえば、もしやその過去は実は人工の架空の偽物の過去なのかもしれません。


それゆえのこの詩の仄かな不安感。





あ!…子供は過去を持たない存在だ…書いてて気づきました。


そういう仕掛けでもあったのか。





アルバム<「クリムゾン・キングの宮殿」(Wikipedia)の中では次のタイトル曲「クリムゾン・キングの宮殿」(楽曲-Wikipedia)の歌詞の最初が


「月の牢獄の錆びついた鎖は太陽によって打ち砕かれる」


と続くそうで。


…月の子供は太陽に出会う。でもそれは打ち砕かれることでもあって…。


どこまで仕掛けてるんだと。





詩作ってプログラミングと似てる作業かも。


訳詞は仕様設計が終わった後のコーディング作業そっくりな気がしてます。


ちゃんと大きなバグもなく設計者が目論んだ機能が実装出来てればいいのだけれど。


(〃^∇^)









2010/03/15

確定申告




去年に引き続き、宇宙人さんは地球侵略を開始しなかったので


確定申告受付期間最終日の今日、出してきました。


滑り込みで間に合うかと思ったら、アウト。


またも夜間受付ポストへ。





やっぱりエイリアンにドンパチを願うのは他力本願だなぁ。


反省してここは一つ自分でなんとかしよう。


「いやまて、それではクーデターではないか」


うーんまあいいとこテロどまり。


「それはいかんなぁ。


やはりここは大人しく言論と投票行動で」


うむ。





でもなんか最近、租税による制限選挙に逆戻りのような話があるみたい…。


やっぱり税金と関係なく普通選挙がいいよ。


世界中でずっとドタバタして今ある私の一票。


大事に。





もう少し税制が簡単にならんものか。


自己申告なんだから…。


文句を言いやすいように簡単にね。


たぶんそれぞれの個人に文句言わせない方法でもあるんだろうけれど、


でもそれはいつか解消しないと。


今のままだとノウハウや情報の集まる集団が有利過ぎないか。






…昨日の日記で流れのままに少しだけ「Moonchild」を日本語にしてみたら、あんがい楽しかった。


ネットの機械翻訳と辞書あるから、言葉弄りに集中出来る。


数行のつもりが2番の前半まで。


頑張って最後までやってみたいけれど、2番の後半は難しそう。


きっちり盛り上げてるものなぁ。


まあ、また明日。









2010/03/14

ムーンチャイルド




最近よくTVで流れてる歌。


”また君に恋してる♪いままでよりも深く♪”


がどうしても


”あの娘は月の幼子♪庭で花を摘み集める♪”


"She's a moonchild Gathering the flowers in a garden."


に聞こえてしょうがないのです。





そっくりな曲。


曲がここまで似てるのは大丈夫なのかな。


「ムーンチャイルド」と「また君に恋してる」





そういや








その娘を月の幼子という


流れの浅瀬で舞い


孤独な月の幼子


柳の木陰の中で夢を紡ぐ





不思議な蜘蛛の巣をもつ木々と語り


噴水の石段でまどろみ


夜の鳥の歌にそって銀の杖をなびかせ


頂きで日の出を待つ





その娘は月の幼子


庭で花を摘み集める


あどけない月の幼子


時の響きに流され漂う


…♪





こんなんだったかな。


「Moonchild」 King Crimson





昔「2001年宇宙の旅」のラジオドラマ版で、


この「ムーンチャイルド」が”スターチャイルド”の章のテーマ曲に使われてた。(^^)


(もちろん"スターチャイルド"なんて言葉を考え出したのはA.C.クラークおじさん。…どっちが先なんだろう。まあ60年代だものフラワーチャイルドな時代かな)









2010/03/13

自主制作映画の撮影




今日は知人の映画の撮影。





走るシーンで俳優さんたちの重心の使い方に見惚れてしまった。


男優さんは普段から殺陣をやってはる方。


女優さんに聞いてみたら小さい頃からバレエをやってはったとのこと。


なるほど。


上手い。





「演技とはすなわち重心の移動の使い方」というようなことを言ってはったのはマキノ雅弘監督だったか。












2010/03/12

どたばた




どたばた。





今日の午前中はPTAの解散会。


一年の年季があけました(〃^∇^)





どたばた。









2010/03/10

今日




寒い日。





北野武監督がフランスの勲章もらってた。


アカデミー賞は『アバター』じゃなく『ハート・ロッカー』だった。





編集は感情が渦巻く。





「ファイト!」










ちょっと塩が強すぎた。


塩抜きの途中で水を変えてやってればよかったのかな。









2010/03/09

罪を憎んで…




「罪を憎んで人を憎まず」って最近聞かなくなったなぁ。


けっこう好きな言葉。





罰を与える側の処世訓としてとてもいい。


復讐や正義に酔わない為に。





罪を憎まず人を憎むのが多いような気がする21世紀。









2010/03/07

撮影




知人の映画。





土曜日にリハーサル。


日曜日にロケ撮影でした。





今月いっぱいかかりそう。





撮影/照明部で参加。


あまった時間に追加カットを撮ってた。私も演出して1ショット撮る。












2010/03/05

たわごと、ワタゴト、とごたわ




サウイフモノニ ワタシハナリタイ





永遠の憧れ


旅のゆくすえ





ワタシハナリタイ





よりよく生きること


それがあれば





ナリタイ





希望を!







「言葉を禁止する。


次にはその禁止した言葉が表す概念を禁止する。


最後にはその概念を思い浮かべてしまう対象を無くそうとする。


そして街には均一な健康な美しい人間しかいなくなる」





うん?なに?





「心神喪失を理由に罪を問わないのは差別ではないのか」





ああ、そっか。


そういうテーマを望んでたのか。





言葉だけなら”気違い”って優劣じゃなく違ってるって公平な言い方。


”子供”は最近”子ども”って書くらしい。


精神薄弱、精神遅滞、知的障害。


障害、障碍。


ちびくろサンボ。ジャングルくろべえ。


バナナ、イエローキャブ。


レッドネック。


政治的に正しい言葉。


SFで”ツチブタ”って架空表現もあった(〃^∇^)


そういや誰かが”味噌煮込み”も隠語な差別用語だと言ってたなぁ。


それは言葉の問題かな。用法の問題かな。心の問題かな。





「本当にニュースピーク最新版が出そうだね」


もう存在する。でも見えない。見えないものは存在しないことになる。


いま見えないビックブラザーがいる。





だから日本語は常に再発見されつづけるのかも。


変化し続ける自然言語。逃げつづける言葉。逃げつづける表現。逃げつづける真実。


嘘から逃げつづけるために。





「あなたにとって不快な表現があったらごめんなさい。


あなたを不快にする意図は無いことだけは伝わって欲しいと、そう願います。」





不幸を無くすことより、不幸から脱出出来る道をつくろう。


みんな気が違っているのだから、違いそのものを大事にしよう。違いを消さないで。









2010/03/04







今日、雨が降った。





水はまた巡る。





何億年もくりかえして、


また、いま、巡る。









2010/03/03

そして傾向と対策




昔、先輩が「自主制作映画ってみんな”傾向”はあるんだけれど、”対策”が抜けてるのがほとんどだ」


とよく言ってたのは、だいぶ前にも書いた。


で今日は戯言を書こうと。





最近こう思ってます。


言葉に出来ないものを何とか言葉に削り出して、もう一つの視点、今まで無かったとらえ方が出来るだけでも、かなり対策に近づくよなぁと。





でも出来合いの言葉に安易に乗っちゃ出来ない事。それだと”傾向”はわかってもらえるけれど”対策”にはつながらない。


出来合いの言葉に乗るんならもう一度その言葉を取り出す所からやり直さなきゃ。





映画も同じ事。


再発見ってのも悪くない。


たとえ整理され洗練され尽くされてても逆にオリジナルでも死んだ言葉/認識よりはたとえ未整理で稚拙でも逆に手垢がついてても生きた言葉/認識の方が実用になる。





生き死にはその表現が何かと繋がっているかどうか。その表現がその表現以上の何かを作り出しているかどうか。表現自体に閉じてないかどうか。そんな事か。





表現されざるものは普段から目の前に転がっている。それを見ることが難しい。


ついもう表現されていて整理もされているものをそのまま再利用しがち、それは分かりやすいけれど、心は動かされない。しかし追体験や再発見があると見事に蘇る。





なんで面白い映画とつまんない映画があるのかって思うと、そんな事もある気がする。


なぜ同じ場所で同じような被写体を撮って、面白い/面白くないって差が出来るのか。


なぜ面白い/面白くないをあらかじめ読むのが難しいのか。


なぜ知識のみでは映画が作れないのか。





��そういやA.I.への批判に体を持たないから無理だろってのもあったなぁ。なんか的外れな批判だと思った。あんがい言葉が主観を作るかもとも思うので。狼少年とかヘレンケラーとかね)



戯言ついでに、


最近、液晶パネルを天井から吊っているのをよく見かけます。


昭和初期の建物や駅に付いてると、なんか手塚治虫の初期SFマンガに紛れ込んだみたいな気分。


火の鳥未来編の地下都市とかメトロポリスとか(^-^)/


ああ、いまは2010年なんだなぁと変な気分に。



ちらし寿司の予定が、多数決で手巻き寿司になりました。


明日はちらし寿司にするつもり。(^^;)









2010/03/02

Re[1]:石になる(03/02)




なにかを楽しむ能力ってのも時期や体調で上下する。





そして尋常じゃないぐらいに楽しむ能力が下がることもある。誰にでも。





そういう時に本当に何でもない行動、


歩いたり水を飲んだり眺めたり買い物したりお喋りしたりテレビを観たり、


そういうことを普段楽しんでやっていたことに気づく。





どこか楽しんだり喜んだりしてたから出来てたってことに気づく。





小さな幸福に支えられて過ごしていた事に気づく。





そう思うと、たまにはすこし失うってのもちょっとは許せるか。(^-^;)