2018/12/22

だからなんだ?私は私のままに生きてゆくしかないじゃないか。

そこに意味も価値も必要じゃない。


私がここにいたいかどうかだけ。

2018/12/21

わたしはみなさんの生き方が分かりません。幼い頃からずっと。

なので、生きてゆくには、私は私で生きてくるしかなかったのです。

そのために時々根元的な不安に陥ります。

2018/12/18

ボヘミアン・ラプソディ 空間の映画

ボヘミアン・ラプソディ を遅まきながら観た。

空間の映画だと思った。

最初の、主人公がバス停に座ってメモを書いている辺りから、不思議な違和感。カットの多さとイマジナリーラインの複雑な処理。途中で何度か出てくる鏡や窓やテレビを使った虚像でどんどん空間が複雑になってゆく。

それはいつの間にか誰かを 見ている という一方向ではなく、 それを見ている側の誰か もその空間に確実にいることが無意識に刷り込まれていく。

ラストで見てようやくその戦術の意味に気づいた。

ラストのスタジアム。何故か大きな部屋に見えた。

客席から見た舞台でも、舞台から見た客席でもない。

対等な対話の場としての会場。そこで交わされる、呼び掛けと応答。それが拡大して世界巻き込むイメージ。

あのスタンドランプの点滅だって、呼び掛けと応答だった。

ラストのコンサートシーンに向けて仕組まれていたように思う。

あの不思議なカメラ配置と編集はそのためだったのかと。

良い映画でした(^-^)





2018/12/09


そういえば、スマホが普及してから、「暇だなぁ」というセリフがなくなった。

時代が変わったな。


それでも愛そう。愛すること自体が私達が手に出来る唯一の救いだから。


2018/12/06

私達の世界はどんどんと死や生から目をそむけているような気がしてます。それは性の真実から目を背けて商品化する事や、命の清濁を感じられなくなることに現れているように思います。

そう考えると作品の方向は二つあるように思います。

商品として甘い幻想を目指すか、受け取ってもらえない贈り物としてまっすぐな事実・心の真実を目指すか。


ある人が正しいと思って言う言葉が私には怖くて仕方がない事があります。

2018/12/05

私は弱いなぁ

わたしはこんなによわい。

だから、どうしようもないまま、たたかう。

なにが自分なのかわからないまま、たたかう。

わたしという波紋。

わたしの意味は世界が決めてくれる。

わたしはただ生きる。

2018/11/27

We are alone 私達は孤独だ

この世界は私が知らない一人一人の汗と血と涙で出来ている。

だから私達にはその贈り物を受け取る義務がある。

あなたにはそれを受け取る価値がある。

いつだって私も貴方も他の人の幸せを作る栄光を選ぶことも出来る。

私達は祝福されている。


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最近、何回か二十歳の頃の私が、頭脳土方として徹夜で作っていたソフトウェアが東大に納入された話をした。

あの夜以来、私の目の前に現れる人工物には感謝するのがデフォルトです。そして何かを作ることの神聖さも(^-^)/

2018/10/14

「まどか☆マギカ」を観た

「まどか☆マギカ」を今さらながら観た。こんなに社会派な作品とは!びっくりしたぁ。

話題になってたから一度観なきゃと思って何年も。でもあのビジュアルが。ためらっていたわけです。

勉強しなきゃと、とりあえず一話30分。とんでもなくアートな作品でした。シュールレアリスム爆発してる。

徹夜してイッキ観。


一例を挙げれば、

OP含めてキャラクターが右から左にしか移動しないのに気づいた。だからEDでまどからしきシルエットが唯一右に進むのに刮目、他の止まっている少女達を追い越して、でもその先には…。うわぁ!!!でした。

心理学的には左側は過去、死の方向。右側は未来、生きる方向。

ひとは過去を思い出すとき眼球は左側を向く。未来を作るとき右側をみる。死んだ恋人オフィーリアを描いた絵はほぼすべて河を左側に流れてゆく。

EDで暗示されている希望の先にある悲劇。本編ですべてが加工の静的な死の世界に進んでゆく不安感。

そんな数々の仕掛けに満ちた作品でした。


結局このアニメは現代の私達の生き方の話だった。

現代社会へののっぴきならない告発、批判。社会派な作品。

生産効率が上がってしまえば、私達の活動はどんどんと生きるためからより良く生きるためになる。

ニートも引きこもりも出生率の低下も、実はそんな単純なこと。

生きてゆくのかのが楽になってきた時にでてくる副作用。

そんな社会の中でよりよく生きようとすれば、みんな魔法少女的な何かを目指すしかなくなる。

豊かな世界でも、みんなに喜んでもらえる人間に。

でも、

そこにはインキュベータきゆうべえのような、それを利用してアンフェアな不当な利益を得ようとする奴等も群がって来るわけで。(インキュベータって私の耳にはずっとインキュバス:男性形夢魔と聞こえて仕方なかった(^^))

この社会で良い人として生きようとする全ての人に待ち受けている悪夢の話。

(だからまどかの描いた他人に見せられない魔法少女の絵が切なくて切なくて。ちと泣きそうに。これが恥ずかしい夢になるこ文明の方が間違っているだろうと悔しくて)


どうすれば夢を餌にする悪人と戦うのかの話。

ちとアメリカンニューシネマの「ラストカーボーイ」を思い出したりしました。(とはいえ観なきゃリストに入りっぱなしで未だ観てないけれど)


この作品まどか☆マギカの中では最後はインキュベータにも勝利するのだけれど、

でも、

私にはそれは説得力なかった。

最後のまどかの方法は、現実には出来ない。

現実のインキュベータはそんなに優しくは無い。そんなに弱くは無い。

作者は絶望を隠したのかも。


しかし、私はそこに有効な手はあると思う。

フリーソフトウェアファウンデーションは上手くいった。オープンソースも、コモンセンスライセンスも、共産主義対資本主義の馬鹿馬鹿しい思想対立を見事に迂回して幸福を目指しているように思える。

「まどか☆マギカ」よありがとう。

うん、この先やってみるよ。

たぶんそう思ったのは私だけじゃない。


ヌーベルバーグもアメリカンニューシネマもその後のことども私達は覚えている。

怒りも無垢も愛もそれだけでは勝てないことも学んでいる。

実は巧幻想や仮想の価値観と巧妙に戦う方法も有ることに気づいている。





2018/09/30

カンフーパンダ3

カンフーパンダ3を観た。というかシナリオ書きながらのBGVのつもりが、引き込まれて、寝る前にちゃんと見直し。

毎度毎度シナリオが華麗だ。
カミソリのように切れているエッジの立った構成。

悪役の動機が有名になること。俺を覚えろ!って切ない動機考えつきやがって。
元々はカンフーの実力はあるけれど、スターの陰で忘れられた男。
自分が何者かをみんなに認めて欲しくて、自分が何者かを自分で決められなくて、地獄に落ちてゆく男。

自分達が何者かを忘れたパンダ村。

自分が何者かってこそが力になる。
それは運命ではない、自分自身が選択することなんだ。

観客に気づかれないほどさりげない表現でこんなことを3才~100才まで分からせるシナリオの技術。
あんなギャグまで伏線に使ってラストで落とすのかの連打。

あんな美しいシナリオ作りたいなぁ。
うーん、打ちのめされながらも、それでも自分の映画のシナリオを書く。

2018/09/29

私の幸せ

二時間の映画が一年で作れるなら、十分の映画は1ヶ月で出来るかというと、そうはいかない。

二時間だろうが10分だろうがその世界を発見して住みはじめるには同じような時間が必要だし、主要なキャラクターを知るためには、同じように深い所に降りていかなきゃいけない。

一時間の映画の撮影が1日で終わる時もあるし、2分の映画に10年掛かることもある。

この辺知らない人に見積り出されるとちと説明が大変になる。


まあ、製品だと考えて、開発時間や作品作りの世界との対決など無視して進めてゆくのもありだとは思うけれど、

それはいつか行き詰まる。

いづれにしても誰かが…何かが考えて壁を壊す必要はあるのだから。


実は楽な道はない。楽そうに見える道は、私達の社会の中でしか流通しない。

私達はむき出しのこの世界に居ることは変わらない。文明を厚くして社会の中で幾重にも守られていようとも。 


私達の仕事を嘲笑う人もいるだろう。

ささやかすぎる仕事。

でもその人のためも含めて、私達はその仕事に誇りを見いだしている。


シナリオ執筆中、ダイブ、ダイブ、ダイブ!!!

もう一度闘う勇気を!!!


ぶれること

最近どうも、心が揺れる。

芯がぶれる。

ここ数年は芯がぶれなかったなぁ。

優柔不断はいつもだけれど、それは情報を待つことが出来るってことなら、目的は全くぶれてない。

うーん、心が弱っているかも。

いやあの件は案外と先方の交渉術の可能性もあるかも。だとすると面倒な事だなぁ。


2018/09/14

北北西に

シナリオで物語の進路を失って迷路にはまりかけてた生徒さんのために、悩んだ末、今日の教材はヒッチコックの「北北西に進路をとれ」に。

映画は真面目に一生懸命にフザケルこと。現実では捨てられているまともでない事を真面目に考えること。
素敵な嘘を作り出すこと。

メモ取りながら観ているうちに、生徒さんの表情が段々明るくなってた。
観終わってまたやる気になってました。

シナリオで悩んでなかったらもしかしたら古めかしい映画ってだけの感想で終わったかもだけれど、物を語る方法の難しさに直面してると、あれがいかに洗練された語り口なのかが伝わりやすいってことかも。


とはいえ、物語作りに苦労していない人でも、あのラストの語り方を考えはじめると、語るということの一環は感じられる。


さすがヒッチコック御大。生きざまかけた聖なる馬鹿話だなぁ。

一見馬鹿馬鹿しいアイデアは実は凄いアイデア。一見まともなアイデアは物語の中では魔法の輝きをもてない。

物語は現実と違う。
でも輝かしい嘘は実は真実なんだ。
いつも現実からは見捨てられてしまう私達の真実。

だから私達は物語を面白いと感じる。私達は物語を必要としている。


それもまた物語を書くコツ。分かってしまえば誰にでも出来る簡単なこと。
でも自転車に乗れるようになるぐらい難しいこと。

教えることは実は教える側の勉強になるなぁとこの数年実感してます(^^)

2018/09/09

同じ事

映画を作る事も演出する事も撮影する事も演技する事も、そして絵を描く事も音楽も宣伝もパフォーマンスも、たぶんすべて全く同じ事。

この世界を自分の抱えてる錯覚から逃れて、ありのままに観ること。

良い生徒さんに出会える喜びを味わっている幸せです(^^)

まあいいか。私がいま密かに仕込んだ種はたぶん私の倒れた後に芽をふくだろう。その時、誰の植えた種かはきっと気づかれない。それで良い。

それは私の密かな誇り。

2018/09/07

陰陽

ある小さなことに気づいた。
もしもこれを意識してやってたとしたら、けっこう陰湿な動機だよなぁと思う。
まあでも本人にしたらこの心の持ちようはそれはそれで人生を渡ってゆくために上手く使えるのかもしれない。

気づいてしまう私もそれが判るってことは同じような陰湿な考え方も持っているのだ。
それが私は気に入らないのだなぁ。

うん、まあ、とりあえず自分の陰湿さに気づけて自覚出来たのはありがたいこった。今の段階なら人の事は私の勝手な想像にすぎないので、無視だなぁ。

悪意は反応で膨らむ。それが幻想だとしても。

2018/08/25

点数

誰も何も眺めていない。誰も何も見ていない。

抽象化された意味を刻々と見いだし、判断を下す。

早く早くと。 

何も考えなくて済むから。効率的だ。

私達は仮想化された世界で生きている。理性を持った時から。現実をどう解釈するかの世界で。

だが、生のデータ、いやその前のセンシングされる前のカオスの在り方とあまりに解離すると、私達は復讐される。

どうか立ち止まって、

一度すべての既成の解釈を離れて、

解釈をそれぞれなりにもう一度生まれた赤ん坊のように組み立てなおして、

そうして、また生き返る。


たぶん芸事にはそんな意味がある。

2018/08/22

抑圧と怒りと鬱と

無気力は怒りの抑圧で生まれる。
若い頃からいろんなお医者さんに言われてきたけれど、この数年ようやく自分の心に実感が見えてきたような気がする。

2018/08/19

「魔法世界」への、答え

そうか、きっと居場所を作ろうとしているんだ。
眠り姫になろうとして。
それが幸せかどうかは誰にもわからないこともたぶん知っているんだろう。
「魔法世界」の時に気づいてなかった事が一つある。
それでも私達の子供達はまた生まれてくるんだ。
不幸を乗り越えて圧倒的な幸せを持ってこの世界にやって来る。
たぶんそれが唯一の答え。

映画を何度も見返すこと

映画は二回目からが本当に楽しくなってくる。

シネコンの完全入れ換え制は、たぶんボディブローのように影響を与えそうな気がしてます。
ネタバレ なんて不思議な単語も同時期に生まれた。
何十年か後に映画を作る基礎体力の一つは落ちていそう。

「ストリート・オブ・ファイヤー」リバイバルの夏。楽しみます。
か、字幕翻訳が酷いな。ストーリーが繋がらないむちゃくちゃな省略。それって逆の意味のセリフだろうにと。アクションとリアクションのキャラクターの動機が見えないじゃないか。
これでは本質のストーリーラインが恋愛映画だとわからなくなっちゃってる。(((^^;)
ビートの効いた多重の意味をお含む詩的なシナリオなだけに翻訳は毎度四苦八苦だけど、今回は一番酷いかも。

2018/08/18

眠い

闘えない日。
すべて自由だと自分に言い聞かせる。
した方がましだが、しなくても大丈夫。
大丈夫じゃないのは、闘わなくてはと凝り固まって空回りしているとき。
私もこの世も大丈夫。

2018/08/16

昨日の夢。
悩みを抱えた私は、あるクラブへお話をうかがったり、本を調べたりして数日通う。
ある日代表的な役割をしておられる方から
「搾取している」と諫言されて、はっと気付く。
私は自分の悩みにかまけてこのクラブに何が出来るかを一つも考えてなかった。


続いてもう一つの夢をみた。
宇宙から巨大な資源を狙って侵略者がやってくる。
攻撃船なのか、そのまま生き物なのかの巨体は黒い紡錘形に赤い二つの大きな目のように見える模様。ヒレの無いシャチのようだった。
それがたくさんの少し小型な個体の群れを率いている。
大変な被害を出しつつなんとか撃退する。
何十年かのち、また彼らがやってくる。

その群れを見ながら、使い古した武器を身につけて、震えている夢。

あー、そういやオブリビオンみたなぁ。劇場で映画観ると出たら気分が変わるけれど、家で観ると気分をリセットがない難しい(^^)

たぶん搾取者つながりだな(((^^;)

2018/08/13

美しい

負け組などと酷い言い方をされている人々よ。実はあなた達こそ祝福された輝かしい人たちなのだ。
敵は、生き物が素直に見た世界をねじ曲げて自分に都合よいように思わせようとする。
だから、
あなたは いまここで 美しい 。

どうかどうかいつか伝わりますように。

孤独

思い出せば、3才の頃からいろんな人にいつも訳のわからない話をしているといわれた。
その時々に愛している人からも容赦なく。
だけれども50年たって、それは実は祝福だと思うようになった。
孤独は変わらず感じているけれどね。
私にはここにいる意味がある。

2018/08/10

ハウルの動く城

テレビでやってる。久々に観たら泣けてしかたない。
今の心に突き刺さる。
世界から社会から魂の自由を守ろうと誰かを愛そうと悪魔と契約する話。

オーウェルの「1984」と同じ種類のデストピア。この中で希望のためのインモラル。悪魔とされるものに救われる魂の話。だけれどビッグブラザーは本当に正義かもしれないんだ。

だが彼と彼女は勝つ。ルパンがクラリスと逃げだして新しい家族を作るには長い時間が必要だったなあ。

宮崎駿、このあたりからはっきりとダメな奴とか悪人のままで良いんだとなってきたんだよなぁ。
この映画の不思議な爽やかさはそこかも。
己と相手の不純を認めた二人だからこそある意味で幸せなラスト。

それはたぶん作者が自分を許す過程。

ポニョまでゆくと私には辛すぎる。

悪人正機。その悟りの境地までたどり着けるかなぁ。

2018/08/06

ArtificialIntelligent

AIについて。「魔法世界」作るとき死ぬほど考えたけれど、たぶんあと1~2回はブームと肩透かしが来るんじゃないかと思っている。
人類にとってはそれは愛とどう向き合うかという事に落ち着く。
さて私達は愛することにどれぐらい本気になれるのか。
愛を求めて、もしも本当に愛されたときそれを受け入れるだけの成熟があるのか。
それはまだしばらくは先になりそうだ。
なので、たぶんAIの開発には無意識の、集合意識の忖度、ブレーキがかかっている。
私達という種族が生き残れるかどうかはたぶんそこにかかっている。

2018/08/02

タルコフスキー「ストーカー」の一場面

タルコフスキー監督の「ストーカー」の台詞
イバラの冠を見つけて被った作家がストーカーに言う「そうだったか、詩の朗読やら遠回りやら、すべて許しを乞う形式だったんだな。同情は出来る。だがいい気になるな。俺は許さんぞ」
今のわたしにはヒリヒリする台詞。

2018/06/26

今週の授業

4月から専門学校で講師やってます。

明日は、映画の構成分析を「雨に歌えば」か「ストリート・オブ・ファイヤー」かを教材に。
就活で2年生に構成分析のやり方をあまり出来てないのが気にかかる。
卒業制作映画の第一稿は出来たけれど、自分でどこがどう上手く行ってないのか分析が上手く出来ないらしい。設定いじりにはしりそう。そこは経験ない時はみんな陥るデッドエンド。
面白い映画がなぜ面白いのか、構成方法に自分なりの仮説を立てられるようになってたら、直し方も前向きに出来る。

一年生は実習の企画見てると、ほっといてもちゃんと構成が出来ている。こっちは何本か構造を分解してきてるからなぁ。
明日は二年生分析な授業受けられると良いなぁ。

明々後日の絵コンテは、映画ネタにして映像の演出論を。最初のネタ映画を「ジョーズ」にするか「ローマの休日」にするか「カリオストロの城」にするか、さらにどのシーンにするか悩み中。
明日にはネタ元決めて画面構成の資料を作らないと。
映像コースの生徒さん達には私がこの数ヶ月口酸っぱく言ってきた映像作品全体の構成方法と実は全く同じだって事に気づいてくれたらいいなあとは思っての授業内容だけれど、さて上手くいくだろうか。

2018/06/24

久々にお散歩写真撮ってきました(^^)


 そういえばこのブログはある時期から挿絵写真を撮るのを自分に科してたなぁ。

昔を思い出して。今日撮ったものを数枚挙げときます。

だんだんFacebookやTwitterに個人的な呟きを乗せるのが気が引けてきました。

読む人にとっちゃどうでもよいことをたまには熱く語ってたりしたいわけで。

懐かしき我が家の方がよいのかなぁ。

ところで、「インスタ映え」って言葉が嫌いです。そんなこと考え始めたらどんな写真撮ってもむなしいだろうにと。

今日の写真載せときます(^O^)/


大冒険な日々

朝起きたら落ち込んでた。

自分自身への攻撃性で心が痛い。
いろいろと迷惑かけている確信が手でさわれるよう。
でもその思いは実は自分への攻撃で、それこそが破滅へ続く自己中心な甘えなのは、もうとうに気づいてたはずなのに。

一喜一憂の日々。
ここ数年ずっと嬉しいことが連続してて。
それが私の弱さに跳ね返って、不安を生み出して、私が望む事から私を遠ざけようと働いて。

幸福でいられる強さと愛を。
今日は静かに己が心と付き合います。

さて、この記事で私は何回私や自分や己と書いたのだろう(((^^;)

2018/06/20

チコ

事の本当の始まりは私の無意識の霧の向こう。意識して語れる始まりは、この前の日曜の午前四時。

夢の中で誰かに「チコに似てるよ」と語りかけられた。私の夢にいつも出てくる  ”中心の街” の中で。静かで軽い口調なのに不思議と迫力がある響き。

それでぱちりと目が覚めた。

チコの姿を確かめたくなって仕方ない。感情が渦巻いていた。
家にある本のではなく、 「小宇宙―鏡の淵のアリス」 という絵本でのチコの姿。美しい寄り目のアーミッシュのおさなごのチコ。

だいぶ前に調べたら、古本屋さんのサイトでページがあっても売り切れ。価格は10万円前後で取引されていたような稀覯本。買うのは諦めた本。

夜明け前にPCを使い画像検索。
あのチコのいくつかの切れ端を見つける。

ああそういうことか…そういうことか。と意識や理性ではさっぱりわからないまま、まだ半分眠りの世界にある心が感情で納得していく。

不思議な時間を過ごして、ふと画像のサイトをのぞいてみた。古本屋さんの通販サイト。売り切れでは無い!価格は6000円…桁間違えて…ない。
注文を押した。

数年に一度図書館の書庫から出してもらって楽しんできた本。まあ一生そうやってくのかなと思っていた本。
他も見てみたら何が起こっているのか結構流通している。

昨日家に着いたのだけれど、どうにも古本屋さんのラップを開けるのがためらわれる。ページをめくるには静かに私もペストコンデションで開けたい。儀式を必要とするほど感情が騒めいている。
とはいえ家に置いて出かけるのも嫌だ。離したくない。とうとう重い荷物の端に忍ばせて職場まで持ってきてしまった。写真は教室のテーブルの上で撮影。
たぶん数日は持ち歩くような気がする。

夢の中で私に語り掛けてきたのは、当たり前だけれど私だったのか。

2018/06/10

運命の映画との出会い 「赤いりんご」

運命の映画との出会い って文章を200文字ぐらいで書かなきゃいけなくなったので、
「赤いりんご」 https://goo.gl/8CMeK9 の事を書いた。
もしかするとまた記憶装置の肥やしになるかも、
それはちともったいないので、ここに書いとこう(^O^)/
考えたらあの画家さんの失恋の年齢と同じ頃にこの映画を観て、
今はあの画家さんと同じくらいの年格好を少し越えたぐらいかな。
何年も映画にとりつかれるのも悪くない。
最近気になっているのは
あの娘が本当は誰の子供だったのか。
上手く隠れているけれど気にしだしたら気になる(^^)
=============================== 「赤いりんご」(76キルギス、監督トロシム・オケエフ)を観たのは小さな映画祭。知らなかった映画。
観客が失笑した青い片思い。そこから始まる画家と妻と娘の儚い絆とその崩壊、自然、土地、歴史。
そんな巨大な世界の上でそれぞれの孤独が悲しくも美しく、愛おしく。
人生とはそんな孤独で愛おしいものだと同じく若かった私に語り掛けてくれ、
そして映画で何が出来るのかの可能性をまた一つ教えてくれた映画でした。

2018/02/16

竜屯の拷問映画制作日記 と統合しました

竜屯の拷問映画制作日記 神戸で自主制作映画(自主映画)を作る日々 - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/ryuton/
をこちらに統合しました。
日記はこちらで書いていきます。

「大塚日記」→「LYCOSダイアリー」→「楽天ブログ」と流されてきたけれど、今回は初めて自分の意志でお引越し。
でもまあTwitterやFacebookやInstagramに書くことがほとんどだけれど、ちょっと個人的な日記にしときたいこともあるので。